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無縄自縛の罠

kitasendo
無縄自縛

アニメ「オトナの一休さん」が面白い。宗教者をこんなふうに描けるのかと、感心する。

もつとも、一休禅師はアニメの主人公にもつてこいではあるでせう。昔から「とんち話」は有名だし、一昔前にはアニメ「一休さん」が国民的な人気を博した。

さういふ小坊主時代も絵になるが、「オトナ」の一休さんもまた話題に事欠かない。禅師とは思へない自由奔放な生き方。伝統や権威に囚はれない。愛人を何人も作つて同棲もする。「破戒僧」とさへ呼ばれる面目躍如です。

「オトナの一休さん」はさういふ赤裸々な姿を描く。アニメーション自体は必要最小限の作りになつてゐる。しかし、構成、脚本が秀逸であり、声優もうまい。一休さんが遺した『狂雲集』や『自戒集』、さらには直弟子が作つたと言はれる『一休年譜』などに典拠を置いてゐる。

典拠を置いた上で、現代風のアレンジをふんだんに取り入れ、その言動はデフォルメされてゐながらも、意外と急所を突いてゐるやうにも見える。

アニメは全26話から成る。その中で一休さんが繰り返し「無縄自縛」といふ言葉を使つてゐます。

「自縄自縛」ではない。「無縄」だから縄は無い。つまり、実際にはありもしない縄で勝手に自分を縛つてどうする、といふわけです。

それを印象的に描いたのが第7話。「婆子焼庵(ばすしょうあん)」について討論する話です。

「婆子焼庵」は有名な公案で、厄介なシチュエーションを設定する。

ある奇特な老女が一人の若い僧を見込んで自宅の敷地に庵を建ててやり、修行に励ませる。僧は一心に修業して、20年に及ぶ。

老女には孫娘がゐて、彼女が毎日僧の世話を焼き続ける。さてそこで、ある日老女は孫娘に言ふ。

「お前は若い僧をどう思ふか。もし好きなら、これから行つて求愛し、抱きついてみなさい」

娘にもその気があつて、老女の言ふ通り抱きついてみた。すると僧はたちまち彼女をはねのけ、かう言ひ放つたのです。

「枯木寒巌(こぼくかんがん)に倚(よ)りて三冬暖気無し」
(冷たい岩の上に枯木が立ったようなもので、何の温かさも感じない)

孫娘から僧の態度を聞いた老女はたいへん怒り出した。
「こんな僧のために、私は20年も無駄に世話してやつたとは!」

それで僧を追ひ出し、庵を焼き払つた。

さて、この公案をどう解くかといふことです。

アニメの中では一人の若い僧が、かう述べる。
「女人を抱くことは戒律を破るので、私も断ります」

断れば戒律を守ることにはなるが、僧は追ひ出され、庵は焼かれてしまふ。

そこでもう一人の若い僧は、
「戒律よりも人の恩。20年もお世話になつたのだから娘を受け入れます」

恩は確かに大切だらう。しかしそのために戒律を破つてどうするのか。

一つを取れば、一つを捨てることになる。これが公案の厄介なところなのです。

そこで最後に、一休さんがどう回答したか。

「ワシならそんな状況にならぬ。誘はれる前に自分から誘ふもんねー。それなら恩に報いることも無視することもないぢやろ」

この回答には、参加者一同呆気にとられる。僧が自分から女性を誘ふ。そんなことがあつていゝはずないだろー、といふわけです。

実際の一休は、この公案について、こんな漢詩を作つてゐます。

老婆心 賊の為に梯(かけはし)を過して、
清浄の沙門に女妻を与ふ。
今夜美人、若(も)し我を約せば、
枯楊 春老いて、更に稗(新芽)を生ぜしめん。

老女は盗人に梯子をかけてやるやうに、修行の僧に若い女を与へてやつた。これはまさに老婆心。余計なことをしやがつて、といふのです。

しかしアニメの一休さんは、
「俺なら、与へてもらふのを待つやうな悠長なことはしない。こちらから誘惑に行く」
と言つてのける。

この脚本は、いくらアニメにしても過激すぎはしないか。

しかしそこで一休さんは
「無縄自縛に囚はれるな! 禅の解答に模範解答などない。何ものにも囚はれず、自分の頭で解答を考へろ」
と一喝するのです。

大半の僧は、仏道にはいろいろな「縄」があると考へてゐる。仏道にはたくさんの戒律があり、それを守つてこそ心が清浄になり、悟りを得られると思ふ。一休さんはその「縄」を粉砕してみせたのです。

いや、本当は「縄」などもとからないと言ふべきか。あるやうに思つてゐるだけで、実はない。

「お前たちがあると思つてゐる『縄』は一体どこにあるんだ。よく目を見開いて見ろ」
と一喝してみせたのです。

実際の一休さんでも、そこまでは言はなかつたと思ふが、そこまで言はせた脚本は、私には面白い。

一休さん、もう少し掘り下げてみたいと思ひます。



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