良寛逸話①「渡し船の権三」
良寛和尚の逸話は多い。その中のいくつかを取り上げて考へてみようと思ひます。今回はその一つ目。
越後の国、今の新潟県に地蔵堂といふところがある。信濃川が流れており、橋の代りに渡し船があつて、権三といふ気性の荒い船頭がゐた。
彼は子どものころ、かなりたちの悪いガキ大将で、同年配の子どもたちから怖がられる嫌はれ者だつた。ところが同郷の栄蔵は出家して良寛と名乗り、名僧の誉れが近隣に知れ渡つてゐた。
権三はかねてよりそれを快く思はず、いつか船に乗つてきたら、船を揺さぶつて川に落としてやらうと密かに機会を狙つてゐた。
「生き仏などと崇められてゐる栄蔵が川に落ちれば、どんな醜態をさらすか。その本性を見てやれ」
と奸計を練つてゐたのです。
そこへあるとき、良寛が乗船する。しかも、うまい具合に彼一人だ。
権三は川の中頃にさしかかつたところで、わざと船を揺さぶる。良寛は不意を喰らつて川に落ちたが、泳げない良寛は溺れさうになる。しばらく様子を見守つてゐた権三は、頃合ひを見計らつて助け上げてやる。
良寛はごぼごぼと水を飲んで、船に上がると、ぜいぜい水を吐き出しながら苦しんでゐる。
「生き仏も、水の中で泳げなければ、ざまあない」
と、内心勝ち誇つたやうな気分だつた。
ところが、助け上げられた良寛の口から出た言葉は、意外なものだつた。
「あなたは命の恩人だ。このご恩は、一生忘れません」
さう言つて、涙をこぼして権三に手を合はせるのです。
この一言が、権三には天地がひつくりかへるほど肚にこたへた。
そのときは権三は何も言はなかつたが、後日、一升瓶をさげて五合庵の良寛を訪ねた。そこで初めて、先日の渡し船の一件は故意であつたと告げたのです。
事故のとき、良寛は権三の子どものころからの行状を認知してゐたのか。そして、あの事故が故意であると気づいてゐたのか。それは分からない。
しかしそのときの良寛の一言が権三の肚にこたへたといふことからみると、少なくとも権三は良寛が気づいてゐたと思つてゐた。自分ながらに非はわざと落とした自分にあると思つてゐたからこそ、良寛の一言があまりに思ひがけなかつたのでせう。
良寛は死にかけたのです。権三は良寛が激怒するか、難詰するかして当然と思つた。ところが良寛の言葉には、一切の怒りも非難もなかつた。
この反応は、あまりにもおかしい。悪意を持つて接したのに、返つてきたのが心からの感謝とはどういふことか。
さういふ反応をする良寛を前にして、権三は自分の醜い内面が良寛といふ鏡に映つてゐるのを認めた。これが肚にこたへたのです。
一方の良寛。彼からなぜあの一言が口をついて出たのか。
私が思ふに、あの一言には何の技巧も思惑もない。真実思つたまゝの言葉だつたと思ふ。
権三がわざと船を揺らしたと気づいてゐたとしても、良寛が見たのは、溺れかけた自分を助け上げてくれた権三だけだつた。悪意もあるのに、善意だけを見た。それが良寛といふ人そのものだつたと思ふ。
「営業はプレゼンではなく、実演だ」
と言つた人がゐます。
僧にとつての営業は布教だとすると、良寛はプレゼンではなく実演で布教したのです。
仏教には万巻のお経があるでせう。それを紐解いて講義するのはプレゼンです。それも悪くはないが、本当の布教の力は実演にこそある。
お経の実体となつて、そのまゝ生きる。さういふ僧が何人出てくるか。それが真の布教力のバロメーターでせう。そして遂には、「布教」といふ観念自体もなくなる。すると、もう宗教も要らない。
神仏のこと、かろがろしくさたする。 はらたちながら、人にことはり言ふ。 (良寛戒語) |

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