「恋」は3年、「尊敬」は永続する
今回の記事も、とつかかりは臨死体験にまつはる話です。
小林正観といふ人はこの手の話を、専門家のやうに話す。詳細なデータはないので、話半分で読んでもらつていゝが、面白いと思ふところだけを少し紹介しようと思ひます。
病気、大怪我、老衰などで死にかけた人が、死なずに息を吹き返す。それを臨死体験と呼ぶのですが、戻つてくる人の大半は誰かから呼ばれる。誰から呼ばれるかと言ふと、95%の人は孫だといふのです。
きれいな花畑にうつとりしたり、お迎への人に優しく接してもらつたりしてその気になつてゐるとき、孫の声が聞こえてくる。
「おばあちやん、死なないで。帰つてきて~」
さういふ必死な声が聞こえてくると、ハッとして、
「あっ、まだ死ねない」
と思ふと、その瞬間、肉体に戻つてゐる。
そんなふうに孫に呼び戻されるおぢいちやん、おばあちやんが臨死体験者の95%だといふ。
その一方、配偶者から呼び戻されるといふ人はほとんどゐない。たまにゐるとしても、結婚してまだ数ヶ月とか、新婚に限られる。結婚3年以上経過した夫婦で、配偶者から呼び戻されたといふ人は皆無だといふのです。
これはどういふことか。
ほとんどの夫婦の愛は、祖父母を思ふ孫の愛に及ばないといふことです。
それでも新婚の夫婦であれば、死にさうになると、
「まだ死にたくない。もつと一緒に暮らしたい」
と、心の底から思ふことはありえる。
ところが結婚して3年以上たつと、さういふ情感が一気に薄れる。端的に言へば、夫婦の愛は3年以上もたない、といふことです。だから、愛のなくなつた配偶者から呼ばれても戻りたいと思はない。戻るよりも、幸福感に満ちたあの世のほうがよほど魅力的だといふわけです。
今や日本も、3組に1組が離婚する時代に入つてゐます。そして離婚組の3割が結婚後5年以内だと統計結果が示してゐます。
脳生理学的には、ドーパミンの分泌は3年以上続かない。恋の魔法は3年で解けると言はれる所以です。
しかしさうすると疑問なのは、3年5年を過ぎても離婚せず夫婦関係を続けるカップルが3組に2組以上ゐるのはどうしてか、といふことになる。魔法が解ける前に、ドーパミンに頼らない別の何かを見つけることができれば、離婚を免れることができる。
その別の何かとは、
「尊敬である」
と、小林さんは言ふ。
尊敬といふ概念。これを獲得できれば、恋といふほど熱くはないにせよ、静かに緩やかに永続する夫婦関係をもつことができる。
それなら、夫婦がお互ひに尊敬し合へる条件とは何か。
それを小林さんは、
「働き者であること」
と言ふ。これもなかなか示唆に富んでゐます。
知識とか地位(出世)などは尊敬の条件にならない。それよりも「働き者」であるかどうか。これが重要だといふのです。
「働き者」の意味を私なりに解釈すれば、相手のこと、あるいは家族のことを思つて動いてくれることです。
例へば、ただ会社で休まず働き、給料を家庭に入れてくれる夫も「働き者」ではある。それはありがたいとは言へるが、必ずしも「尊敬」の対象にはならない。家事や育児の過半を担当してくれる妻も「働き者」ではあるが、彼女もそれだけでは尊敬されない。
お互ひが相手や家族のことを気にかけ、喜ばせるために、自分の体を駆使する。「働く」とは文字通り「傍(はた)」+「楽(らく)」の精神です。その精神があるとき、初めて尊敬の対象になるのだと思ふ。
結婚の最初にあるものを「恋」と呼びませう。それが結婚の原動力になる。しかしその力は3年が限界だから、その期限が来るまでにそれに替わはるもの、つまり「尊敬」の形成に着手しておかねばならない。
「恋」は3年だが、「尊敬」は永続する。夫婦の愛といふものは、その「尊敬」の上にありえるものか、あるいは「尊敬」そのものが夫婦の愛と言つてもいゝのかもしれない。

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ときめきから神感
私は恋愛結婚です。
結婚して3年もすれば、毎日顔を合わせているのでときめきは消えます。
それを埋めるのは「尊敬する心」
そして今は夫に「神感」を抱いています。
私の周りの夫婦は仲良し夫婦が多いです。
彼女達も「夫に感謝している」「尊敬している」とよく口にしています。
だから離婚しないのかな。