苦痛が災難になるとき
災難に逢ふ時節には災難に逢ふがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候。 (大愚良寛) |
良寛和尚は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶で、号を大愚と称した。無欲恬淡な性格で生涯寺を持たない人でありながら、子ども好きで親しみやすいイメージで現在にも広く名前の知られるお坊さんですね。
1828年12月、良寛和尚最晩年の71歳のとき、新潟に大地震が襲つた。幸ひ和尚は無事だつたが、長年の友人山田杜皐(とこう)が子どもを亡くした。冒頭の言葉は、和尚が山田に送つた見舞ひの手紙の末尾に記されたものです。
字面だけを見れば、冷たく突き放したやうな印象があります。子どもを失つた人にかういふ見舞ひはないだらう。デリカシー欠如の無情な言葉かけにも見えます。
しかし考へやうによつては、幼なじみの心の通じた友人だからこそ書けた言葉であつたとも思へる。そこには晩年の禅僧が到達した心の境地がよく現れてゐます。
災難とは何か。もちろん、この度の地震でせう。地震はいつ襲つてくるか分からず、天災と呼ばれる。
しかし和尚の言葉には、
「地震は必ず災難か」
といふ問ひかけが隠れてゐるやうに思ひます。
手紙の文面を私なりに少し書き直してみませう。
地震に逢ふ時節には地震に逢ふがよく候、… 是はこれ災難をのがるる妙法にて候。 |
このとき新潟の人々が遭つたのは、実際のところ「災難」ではなく「地震」なのです。地震といふのは文字通り地面が揺れる。大きく揺れれば家も倒れ、倒れた家の下敷きになつて人が死ぬ場合もある。
地震の影響はもちろん尋常ならざる事態には違ひないのですが、地震は元来地震以外のものではない。その地震がどうして災難になるか。地震に遭つた人がその結果を受け入れたくないと抗ふ。そのときに、地震が災難になるのです。
家が倒れて、人が死ぬ。これは地震が起こつたからであつて、その地震がどうして災難でないはずがあらうか。さう思ふのは人情であり、当然のことだと思へます。
しかし和尚はその通常の認識論を一歩突き抜けようとするのです。
我々が地震を地震と受け止めれば、地震は「災難」から「地震」へと元の姿に戻る。さうなれば、「災難」はなくなる。
「災難をのがるる妙法」と和尚が言つてゐるのは、現実の被害が消え去るといふことではない。「災難」といふ苦悩の観念が我々の認識から消えるといふことです。
我々の体は「災難」から逃れられないでせう。しかし我々の心まで体と一緒に、その「災難」に苦しむ必要はない。
これは地震に限らないことで、我々はさまざまな苦痛に出遭ふのです。思ひがけない事故に遭ひ、思ひがけない病気に罹る。愛する人が突然死んでしまふ。誰かに騙される。これらの苦痛も、元来は苦痛であつても、災難ではない。
災難は我々を被害者に仕立て上げます。苦痛を災難と認識することによつて、我々は自ら被害者の苦しみを背負ひ、同時に加害者を作つてそれを憎むことになる。
「災難をのがるる妙法」とは結局、苦痛の事態を災難にしないことではないでせうか。

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