「思考の枠」問題
先日の記事「ダイエット原理講義」で紹介した「お米ダイエット」の柏原ゆきよさん。
彼女の動画を見てゐると、
「現代の我々の食生活は、頭と体のせめぎ合ひだな」
と改めて思ふ。
そして食生活は私の生き方でもある。自分の食生活を振り返つてみると、自分がどのやうな生き方をしてきたかに気づくきつかけになるやうな気がします。
例へば、3度の食事はきちんと摂つてゐる。にも拘らず、甘いものが間食にほしくて、ついお菓子や饅頭を買つてしまふ。
そして食べながら、
「甘いものは体に悪いのだが」
といふ一抹の後ろめたさを感じる。
食べたいものを食べてゐるのに、食べてゐる自分を責めてしまふ。私を不健康にする元凶である甘いものを憎みながら、その憎むものを食べるといふ矛盾をきたしてゐるのです。
これをふつうには「誘惑に負ける」と考へる。さう考へると、誘惑に負ける自分を否定せざるをえない。
ブレーキを踏みながら車を前に走らせようとしてゐるやうなものです。自分にとつてストレスであること、この上ない。
これに対して柏原さんは、
「甘いものがやめられないのが問題だといふ前に、『甘いものがやめられない』といふ思考そのものがやめられないといふ問題がある」
と言ふ。
制限をかけると、反発心が起こる。だから、「やめられないといふ思考」が、そもそもやめにくくしてゐると見るのです。
我々には知らず知らずのうちに、「思考の枠」があるのだなと思ふ。自分で作つた「思考の枠」に自らを閉じ込め、それで自分が苦しんでゐる。
「甘いものは体に良くない」といふ思考の枠。
「良くないと知りながらもやめられないのが自分だ」といふ思考の枠。
甘いものが食べたいとき、体は
「今、体に何かが足りないんです」
と言つてゐるに過ぎない。
その体の懇願を頭は
「甘いものは良くないんだ。それを我慢できないお前はダメな奴だ」
といふ「思考の枠」にはめ込まうとする。
これが体と頭のせめぎ合ひなのです。そしてこのせめぎ合ひが非常なストレスを生み出す。
この事態を解決するには、何が必要でせうか。
頭が「思考の枠」を外して体の声に耳を傾ければいゝのです。「何が足りないんだらう?」と考へて、その足りないものを突き止め、補つてやれば、それで問題は解決する。
甘いものを欲するときは、たいてい体にエネルギーが枯渇してゐます。それなら枯渇してゐるものを補つてやればいゝ。「甘いものなどほしがるな」と体を押しつける必要などまつたくないのです。
かういふ「思考の枠」問題は食生活に限らない。我々の生活のあらゆる分野に及んでゐると思ふ。
「子どもが親の言ふことを聞かないのはおかしい」
「私がやつてゐるのに、あの人がやらないのはおかしい」
「私の正論をあの人が聞き容れないのはおかしい」
このやうな「思考の枠」はたいてい否定形になつてゐます。
柏原さん風に言ふなら、
「否定形の思考の枠については、さういふ思考がやめられないといふ問題をまづ改める必要がある」
「何が足りなくて、さうなつてゐるのだらう」
と考へ、足りないものを補ふやうな「思考の枠」に転換すればいゝと思ふのです。

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