「For God's sake」は誰のためか
For God's sake, this man cannot remain in power. (Pres. Joe Biden) |
「for one's sake」といふのは、「誰それのために」と言ふやうな意味です。しかし、「for God's sake」はほとんど慣用化した表現で、「神のために」と訳するよりはむしろ「まつたく」といふくらゐなニュアンスになる。
だから、バイデン大統領の発言は
「まつたく、あいつが権力の座にとどまるなんてありえねえ」
といふやうな響きが英語ネイティブには感じられるのだと思ふ。
それで、
「この発言はプーチン政権の転覆を意図したものか」
などと、一時物議をかもしたのです。
しかし私はこゝで大統領の意図よりも、発言の頭につけた「for God's sake」について考へたい。
文字通りの意味で考へれば、「あいつが権力を持ち続けるべきでない」のは、私個人の考えではなく、神の考へであり、神のためだ。さういふ文意なら、この言ひ回しは神の名を借りることで自分の発言を権威化しようといふ意図を秘めてゐます。
こちらはプロテスタントで、あちらはロシア正教でも、根つこは同じキリスト教。同じ神を戴く同士だから、「神のために」と言へば話は通じるかもしれない。
しかし相手が、例へばイスラム教の頭目ならどうだらう。それでもバイデン大統領はためらはず「for God's sake」を使ふやうな気がする。
ところがこの場合なら、
「それはあんたの神だらう。私の神はそんなふうに考へない」
と反論されるかもしれない。
どちらの側も神の名を出して、自分の側の正当性を主張するでせう。人間は自分の権威づけのために神を持ち出す。持ち出された神はどう思ふだらう。
どちらの神であらうと、
「こんなところで私の名前を勝手に出すな」
と言はれるやうな気がする。
宗教について言えば、あなたがたは本当に神を知り、愛せるようになりたいと言う。だが、あなたがたの宗教ではそこへは到達できない、と説明しているのだ。 あなたがたの宗教は神を偉大な謎にして、神を愛するのではなく、神を恐れさせている。宗教はあなたがたの行動を変えるのにほとんど役立っていない。 (『神との対話3』ニール・ドナルド・ウォルシュ) |
ニールと対話する神は、概して既存の宗教(主にはキリスト教)に対して評価がすこぶる厳しい。
この神によれば、我々は神をほんとうには知らない。神を知らないくせに、やたらと「神の名において」とか「神のために」とか「神のみ旨は」などと、何食はぬ顔で口にするのです。
我々は神を知らないだけではない。むしろ、神を恐ろしい神、審判の神に仕立て上げて、多くの人に神を恐れさせてゐる。宗教は本来ほんとうの神を知らせて人間の心と行動をあるべき姿に変へるものであるはずなのに、ほとんどさうなつてゐない。
ほんとうではない神のイメージを描いて、その神を信じるやうに仕向ける。だからそれを信じる人々は本道を外れて森の中をさまよひ、いつまでたつてもゴールにたどり着けない。
神はさう言はれる。本当にそのやうになつてゐるでせうか。
思ひ当たることは結構ありますね。神をほんとうには知らないのに、知つたやうな気になつてゐる。そして、神に使はれるのではなく、神を自分なりに利用してゐる。「for God's sake」はその典型です。

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