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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

心をつくして自分を愛しなさい

2022/04/22
愛で生きる 2
聖書 イエス 神との対話
ボランティア

昔、某紙の人生相談欄に就活中の大学生からこんな相談が寄せられたことがある。

両親はどちらも高給取りで、私は裕福な家庭に育つた。何でも思ひ通りのことをさせてくれた。学業も部活も卒なくこなした。

しかし今就職活動を始めてみて思ふ。自分は恵まれた環境にぬるま湯のやうに浸かつてきたのではないか。これからは自分の恵まれた環境を世の中に還元するために社会貢献に身を投じたほうがいゝのではないか。

しかし今の自分にほんとうにボランティアをする覚悟があるかと言へば、自信はない。恵まれた環境にゐながら何も決めることのできない自分へ一喝いただけないでせうか。

大体そんな内容の相談です。

回答者がどんなアドバイスをしたかは記憶にない。しかしどんなアドバイスをもらつたにせよ、この人はその後何かのボランティアに身を投じたであらうか。どうもそんな気がしない。

彼にとつてボランティアとは何か。自分の受けてきた恩恵を世の中に還元したいと言ふが、彼は本当に恩恵に満たされてゐるのだらうか。

こゝで私は聖書にあるイエス様の言葉を思ひ出す。

「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている。
(マタイ福音書22:37∼40)

ボランティアが「あなたの隣り人を愛する」ことに当たるとすれば、その前提は「自分を愛する」ことです。相談を寄せた大学生がボランティアに身を投じようとすれば、彼は自分を愛する人でなければならない。彼は果たして自分を愛してきただらうか。

第二の戒めを私なりに意訳すれば、
「あなたが誰かに自分の何かを真に与へようとするなら、まづ自分自身が満たされなさい」
といふ箴言になります。

自分を犠牲にしてでも人の為に何かをしてあげる。さういふ行為を、ふつうには崇高なものと評価しがちです。しかし「人の為」と書いて「偽り」となる。

あの大学生が「自分自身を愛し満たされた人」だつたかといふと、私にはさう思へない。彼自身は自分のこれまでを恵まれた環境と言ふものの、その実、彼の中はほとんど空つぽのやうな印象を受けるのです。

自分自身が空つぽの人が人の為に生きようとすると、それは必ず偽りになる。だからさういふ人がボランティアに身を投じても心底の喜びはないし、そもそも言ふだけ言つて実践には踏み切れないと思ふ。

これまで我々は道徳的にも宗教的にも「人の為」に生きることが善であり崇高であると教へられてきたかもしれない。しかし今は、後段の「隣り人を愛せ」よりも、前段の「自分を愛するやうに」に目を向けるべきときだと思ふのです。

自分の中が空虚なのに人の為にならうとすると、偽りになる。だからまづ、自分自身を満たすことです。

ところが我々は、よく見ると、自分を案外愛してゐない。自分のことを好きでもないし、自分を許してもゐない。自分には冷たくしながら、他人ばかりを愛さうとしてゐるのです。

それなら、一体どのやうにして自分を愛すればいゝのでせうか。これが存外むつかしい。しかし上のイエス様の聖句をよくよく見ると、第一の戒めにそのヒントがあるやうな気がしてきます。

「心をつくして神を愛せ」とあります。心をつくして神を愛することが、自分を愛することではないか。この二つは同義であつて、別々のことではない。自分を愛することなく神を愛することなどできない。さういふ気がしてきます。

すると、かうなるでせうか。

「神があなたを愛せるやうに、あなたは自分自身を心をつくして愛しなさい。その愛であなたがほんとうに満たされたなら、あなたは偽りのない愛で隣人を愛せるやうになる」

いいかね。人生の目的は神を喜ばせることではない。人生の目的は、自分とは何者であるかを知ること、自分を再創造することなのだよ。自分を知り、再創造すれば、神を喜ばせるし、彼女をほめたたえることになるのだ。
(『神との対話2』ニール・ドナルド・ウォルシュ)

神を喜ばせることが神を愛することである。さう考へますが、それなら神は一体何を一番喜ばれるのか、それについてぢつくり吟味する必要があるのです。

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神との対話
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Comments 2

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はちみつ

マタイによる福音書

私もこの大学生の質問は、マタイによる福音書19章16節ではないかと思いました。
「 すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。」

自分を愛するって、私もまだわからないです。
心理学のブログには「自分の全てを愛する」「このままの自分で良い」「人と比較しない」とか書かれています。
一挙手一投足の日常の生活の中に神を感じながら生活し、心理学の内容が腑に落ちるまで愛し続けることなのかなあ。

2022/04/23 (Sat) 10:45
kitasendo

kitasendo

Re: マタイによる福音書

「自分を愛する」といふことは、私もまだ十分には分かりません。記事を書きながら試行(思考)を重ねてゐるのが実情です。
善を為したいといふ願ひは良いことであり、本性の発露と思はれますが、さう願ふ背景には複雑な心理がある場合があると思ひますね。問題はそれを自分自身がはつきりと自覚しないことです。

2022/04/24 (Sun) 09:33