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原恩の世界

kitasendo
原罪の世界2

社会学者の見田宗介(みた・むねすけ)さんが亡くなつたといふニュースを目にした。浅学にして氏の業績を存じ上げなかつたが、その著作などを調べてゐて「原恩の意識」といふ言葉に出会つた。いかにも日本人らしい観点だなといふ気もして、面白いなと思ふ。

「原恩」とは、キリスト教における「原罪」に対比されるものです。一神教における「原罪」、汎神論における「原恩」といふ構図が描かれます。

「原罪」とは、人間始祖であるアダムエバの過ちによつて、彼らの子孫全体に及んだと言はれる罪です。人間である限り、この罪から逃れられる人は一人もゐない。キリストによる罪の贖ひを受けないと、決して天国へのパスポートを手に入れることができないと教へられます。

原理講論』では、イエスはこの原罪を清算するために来臨されたと言ふ。しかしその使命を完遂できないまゝに十字架で亡くなつたために、その摂理は再臨のときまで延長された。神の理想を取り戻さうとするその歴史は、人間にとつてのみならず、神にとつても実に困難と苦難の歴史であつた。

このやうな「原罪」の世界観を見田氏は黒と白で説明する。黒は「無価値・反価値」を象徴し、白は「価値」を象徴します。

原罪の世界は、黒いキャンバスに白い絵を描くのに似てゐる。つまり、唯一の神によつて意味づけられた特定の行為、特定の存在だけが価値を持つものとして白で色づけされる。一方、背景にあるのは人がただ生きてゐること、自然がただ存在することで、それらは無価値あるいは罪深いものとして黒で描かれるのです。

汎神論の世界はそれと反対で、キャンバスの基調は白く輝いてゐる。日常的な生活やありのまゝの自然が価値あるものとして光彩を放つてゐるのです。罪悪はむしろ局地的・一時的な「よごれ」として、ところどころに黒い陰影が滲みのやうに描かれるに過ぎない。

「原恩」とは、この世界の基調が白だといふことです。神によつて意味づけられた特定の行為をする特定の存在でなくても、人間であること、生きてゐること自体が「恩恵」であるといふ意識で構成される世界。それを「原恩の世界」と呼ぶわけです。

「原罪の世界」と「原恩の世界」。この二つの世界は、どちらかが真実でどちらかが虚偽だといふものではないと思ふ。私たちは罪もあれば恩もある一つの世界に住んでゐるのですが、その世界が私の意識にどのやうに映るか。その意識の違ひによつて、「原罪の世界」にも見え「原恩の世界」にも見えるのです。

とは言へ、「原罪の世界」はつらいなあとは思ふ。

そこでは、あるがまゝの自分の姿は否定されます。あるがまゝの自分を受け入れてはいけないといふ強迫観念があります。今の自分に満足するのは愚かなことで、つねにより良い(神の意味づけに沿ふ)自分になるべく刻苦勉励しなければいけない。

一方、「原恩の世界」と聞くと、ホッとして、心が深く落ち着くやうな気がする。生まれたばかりの赤ん坊がお母さんの胸に抱かれて、「あなたが生まれてきてくれただけでうれしい」と言はれてゐるやうな安らぎがあります。

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はちみつ

転換

>そこでは、あるがまゝの自分の姿は否定されます。あるがまゝの自分を受け入れてはいけないといふ強迫観念があります。

確かにそうでした。
以前は「このままの自分ではダメ」と自分にいろんな縛りを設けていました。
でも臨床心理士は、全く逆のことを言われます。
どんな自分も認めてよいのだ、と。
自分のあるがままを受け入れると、すごく解放されました。

2022年04月14日 (Thu) 12:27
kitasendo
kitasendo

Re: 転換

これまでは善悪の表示体に分けて死亡の血を流さないといけない摂理だったので、悪を強調する必要があったと思います。だから我々も悪の観念にぎりぎりと縛りつけられるような苦痛もあった。しかし善悪分立の蕩減時代が過ぎ去れば、「原罪意識」から「原恩意識」へと意識転換するのが自然の流れではないでしょうか。

2022年04月14日 (Thu) 13:45
kitasendo
Admin:kitasendo