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専門家は一から学習しない

kitasendo
望月新一

一定以上の研究業績のある研究者の場合、論文を読むとき、学生や初心者のように、「一から学習する」ような姿勢で時間を掛けて基礎から順番に勉強していくといったような読み方を極力避け、寧ろこれまで蓄えてきた専門知識や深い理解を適用できるように、自分にとって既に「消化済み」、「理解済み」な様々なテーマのうち、どれに該当する論法の論文なのか、論文の主たる用語や定理を素早く「検索」することによって論文を効率よく「消化」しようとするのです。
(「
宇宙際タイヒミューラー理論の検証:進捗状況の報告」2014年 望月新一)

先日の記事「
同じものを違ふと見なす」を書かうとして望月新一教授の資料を集めてゐる際、出会つたのが上の一文です。

望月教授が「abc予想の証明」論文を発表した。ところがその証明の仕方があまりに画期的であるために、理論の正否について大議論が巻き起こつた。しかも議論はするものの、結論が一向に出ないし、これからも出さうにない。それはなぜかといふ理由について、望月教授自身が推論したのが上の一文なのです。

望月教授の考へるところでは、業績もあり年季も入つた研究者であればあるほど、「一から学習する」といふことをしない。自分がこれまでに培ひ馴染みのある論法のうち、どれで消化すれば効率が高いかを考へる。だから、まつたく新しいもの、画期的なものを、それが寄つて立つところの新しい論法で理解することができない。

これは前の記事でも書いたとおり、従来の言語世界に新しい言語が出現したやうな状況なのです。お互いに言語体系が違ふのに、従来の文法法則を当てはめて新しい言語を解釈しようとする。しかしそれではほんとうに新しい言語を理解したとは言へないでせう。

望月教授はこゝで「その道の専門家」が内包する問題点を指摘してゐるやうにも見えます。「専門家」と呼ばれる人が取る手法はつねに適切と言へるのか。その判断は信頼に値するのか。さういふ問題です。

世の中に問題が起こるたびに、その問題の専門家が徴用されます。疫病がはやればウイルス学の専門家を集めて専門家会議が作られ、旧ソ連圏で紛争が起こればロシア学の専門家がマスコミに登場する。

彼らが信頼される理由は何か。彼らの寄つて立つところが、豊富なデータであり、過去から集積された分析の手法にあるからでせう。

「客観的なデータによれば」「過去からの傾向によれば」といふ論法で新しい事態を分析する。彼らはその都度「一から学習」しない。自分にとつてすでに「消化済み」「理解済み」な手法の中から「検索」をかけて、最も妥当さうなものを選び出すのです。

ところが、そのやうにして出された結論が最善の解答かどうか、それは分からない。なぜなら、今直面してゐる問題は新しいものであるのに、その根拠は「過去」に頼つてゐるからです。専門家だからと言つて全幅の信頼を寄せるのは危険な場合もありえます。

ところで、私が本当に問題だと思ふのはこゝからです。次回に続きます。

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小林秀雄②
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