fc2ブログ
まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

私にかかはる二つの世界

2022/03/16
問題を解決する 0
仏教 キリスト教
量子力学

私に昔の同級生がゐて、卒業以来一度も会つたことがないとします。彼は今、生きてゐるのか、それとも死んでゐるのか。

客観的に考へれば、事実は生きてゐるか死んでゐるかのどちらか一方です。そのどちらであるかは、連絡を取つて確認したときに初めて分かる。事実はすでに決定してゐるが、それは確認するまで分からないだけだと考へます。

ところが確認を取る前の私の心の中では、もやもやとした状態です。生きてゐるかも知れず、死んでゐるかも知れない。この歳になれば、死んでゐる可能性のほうが若干高いかもしれない。それなら生きてゐるのが40%で、死んでゐるのが60%。そんなふうに確率でしか彼の生死を考へることができません。

かういふ心の中の状態は、量子力学における「不確定性原理」に似てゐるなと思ふ。

「不確定性原理」。ごく簡単に言へば、
「ミクロな粒子(陽子、中性子、電子など)の位置や運動量が一意には定まらず、確率的な広がりがある」
といふものです。

日常のマクロな世界でも、我々が未来を思ひ浮かべる際には、この原理が働いてゐます。「明日こゝで雨が降るかどうか」は一意には定まらず、確率的にしか言へない。

しかしミクロの世界と我々の意識の世界では、未来のことではなく、今現在のことでさへ確率的にしか言へないのです。

ミクロの粒子の位置と運動量が一意に定まるのはいつか。それは私が観測したときです。観測と同時に位置と運動量とは一意に収束する。

それと同様、私の意識の世界でも、何ものかの存在位置や形態が定まるのは、私がそれを意識したときです。

例へば私が、
「同級生の彼は今どうしてゐるかな」
と意識した瞬間、その彼が私の意識世界に出現し存在し始めます。意識する前には、私の意識世界に彼は存在しなかつたのです。


(人の意識は量子力学的な振る舞いをするのではないかといふ面白い実験もあります)

前置きが長くなりました。今回私が言ひたいのはかういふことです。

私にかかはる二つの世界がある。

一つは私の体が存在する世界で、これを「私の外の世界」と呼びます。この世界に何か特定のものがあるかどうかは、それを私が知る知らないにかかはらず客観的に決まつてゐる。地球は数十億年前から存在し続けており、奥山の桜はたとい私が見ずとも毎年必ず咲いてゐるはずです。

もう一つは私の心(意識)が作る世界で、これを「私の中の世界」と呼びます。この世界では何か特定のものがあるかどうかは、私の意識次第です。私が意識するものは存在し、意識しないものは存在しない。先に例に挙げた昔の同級生のやうに。

こゝからもう少し考へを進めてみます。

「観」といふ言葉があります。「世界観」とか「人生観」などといふふうに使ひます。「世界」も「人生」も空間と時間の「私の外の世界」にはありますが、「世界観」「人生観」は「私の中の世界」にしか存在しない。あるいは「私の中の世界のかたち」を「私の世界観」と言つていゝかもしれない。

「観」とはつまり「観念」のことです。「世界観」とは「私にとつて世界とはどのやうなものか」といふ観念のことです。

同じこの世界を見ても、ある人は創造論を信じ、別の人は進化論を信じる。「お金がないと幸せになれない」と考へる人もゐれば、「正直に生きれば報われる」と感じる人もゐる。

我々の体はみな同じ一つの世界に生きてゐるやうでありながら、「世界観」は人によつてみな違ふ。千差万別、人の数だけあると言つていゝ。

なぜこのやうになるのでせうか。

「私の中の世界」を構築する要素は二つある。一つは、私の五感を通して入つてくる外の世界の情報。そしてもう一つは、私の潜在意識に蓄へられてゐる記憶です。

同じものを見聞きすれば、そこから得る情報は誰でも同じです。しかし記憶はさうではない。喜びの記憶、悲しみの記憶。それらが人によつてみな違ふ。

そこでこの記憶がフィルターとなつて外からの情報を取捨選択する。あるいは記憶が情報を色づけする。それによつて千差万別の「私の中の世界」が作り出されるのです。

このやうに考へると、私が見てゐる世界は「私の外の世界」であるやうでありながら、実は「私の中の世界」ではないかと思はれてきます。

私の人生の第一の、そして最も重要な課題は、より良い「私の中の世界」を作ることではないか。そのためには、私の中の記憶を正常化する必要があります。

害のあるものは消去し、歪んだものは矯正する。曇つたものは磨きをかける。それを「堕落性を脱ぐ」とも言ふ。さういふ作業が必要です。

仏教では「三界は唯心の所現」と言ふ。キリスト教では「天国を創る者は幸ひである」と言ふ。「平和な私の中の世界」を持たない者が「平和な私の外の世界」を創ることはできないのが道理でせう。

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

カッコウは騙さない
関連記事
スポンサーサイト



Comments 0

There are no comments yet.