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お前の親孝行は本質的道徳だな

kitasendo
親孝行

俺が小林を敬愛したり好きだという所以は、「何でもない」ところにあると思っている。何もこの人には美徳はないかも知れないが、本当に小林がおっ母さんの事を思う時に、僕は感動するんだよ。
兄貴がお袋のオシッコまで世話するのを見てもね。東光はいまだにお袋の悪口を書いていますよ。けれども兄貴のやったことは、僕がこれからどう努力したって出来ない事です。
それは何も小林が偉いのでも東光が偉いのでもないんだ。日本人がみんな持っている事じゃないかなと思う。
(『交友対談』小林秀雄・今日出海)


小林については改めて言ふまでもないでせう。今日出海(こんひでみ)は小説家でもあり、初代文化庁長官もつとめた人徳ある教養人です。小林とは東大仏文科の同期で、それ以来の知己。

東光といふのは日出海の兄で、今東光。この人もまた小説家ですが、後に出家して僧侶になつてゐる。歯に衣着せぬ毒舌で名を知られた人です。

日出海が言ふには、兄の東光は母親の悪口を散々書く。ところが意外に母はその東光を頼り、東光も躊躇なく母を預かる。そして母が寝ついて世話が要るやうになると、東光はためらはず下の世話でもなんでもする。

日出海はもう少し穏やかな性質で、母親の悪口を大ぴらに言ふやうなことはないが、あんな下の世話まではなかなかできないと思ふ。しかしそれは兄が特別に偉いのぢやない。日本人なら当たり前に持つてゐる特性だらうと見るのです。

一方、小林も日出海から見ると感心するほど親孝行だ。小林の母は「お光さま(世界救世教)」の信仰を持つてゐて、晩年にはその信仰以外に頼らうとはしなかつた。

ふつうの医療を遠ざけて「お光さまのおさすり」しか信じなくなつた。それで小林はみずからお光さまに入門して、東京にかよつて「おさすり」の免状を取つたのです。

さういふ小林の行動を評して、今は
「小林の親孝行といふのは、本質的道徳だな」
と言ふ。

小林と今との対談全体を読んでみると、この「本質的道徳」を二人とも「日本人の気質としての宗教心」とみなしてゐるやうに思へます。今が「日本人がみんな持っている事じゃないかなと思う」と言つてゐるのは、そのことです。

日本人の宗教心といふのは、仏教とか儒教、キリスト教などのドグマ(教義)が入つてきて理論づけられるよりはるか以前から人々の生活の中に根づいてゐたものです。ドグマが日本人の宗教心を涵養したのではなく、日本人は自分たちの宗教心の上にドグマを乗せていつた。そして日本人の宗教心はそのドグマによつてそう簡単に影響されてはゐない。二人はこの点で考へが一致してゐます。

ところで、二人の話に出てきた「親孝行」。これを今は「日本人の本質的道徳」といふのですが、敢へて日本人に限ることではないでせう。おそらくはどんな民族にも「親孝行」はある。ただし、その現れ方は民族によつて多少色合ひの違ひがあるのかもしれない。日本人には日本人らしい現れ方がある。

私自身を振り返つてみると、今兄弟を足して二で割つたやうな感じがする。親の悪口をひどく言はないのは日出海さんに近い。一方、東光師のやうに母親の下の世話も厭はないのです。

もつとも、これは自分でも少しおかしな気がするが、初めからさうだつたのではない。

母親がいよいよ自力でトイレに行けなくなつたとき、初めて簡易トイレをレンタルすることにした。ところが、内心これが嫌だつたのです。

ふつうのトイレなら自分で用を足して自分で水を流せば、家人の手をなんら煩はせることはない。ところが簡易トイレとなれば、部屋の中で用を足し、尿便が溜まれば、それを運んでトイレに流さなくてはならない。

人の糞便を運ぶ。いくら母親のものとは言へ、これに内心相当な抵抗感があつたのです。

ところがいざ簡易トイレを導入し、使ひ始めると、だんだんと慣れて気にならなくなる。下手をすると、尿が顔にまで飛び散ることがある。オムツの中に排便すれば、タオルできれいに拭きとらねばならない。まれには畳の上に便が落ちてゐることがあり、知らずにそれを踏みつけることもある。畳に沁み込めば、拭きとるのに少々の手間ではない。

かういふことが繰り返されるにつれ、だんだんと鈍感になるといふのか、ちよつとくらゐウンチが手についても、さして気にならなくなる。真夜中にウンチを漏らしても、慌てず粛々と世話ができるやうになるのです。

東光師もそんなふうだつただらうかと推測する。あるいは、出家までされた方だから、最初からもうちよつと悟つておられたかもしれない。

いづれにせよ、かういふことを特別に「親孝行」とも思はない。「本質的道徳」といふのも、何だか仰々しい気がする。

私のかういふ感性も、特定のドグマによつて涵養されたのではなからうと思ふ。自分の中に深く眠つてゐたものが、縁にふれて自然なかたちでおもてに現れてきたのではないか。そんな気がします。

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なるほど、小林秀雄2
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