偶然の浄化
前回の記事「幸福な偶然の物語」で取り上げた「偶然」について、もう少し考へます。
3ヵ月ぶりくらゐにシルバー人材センターから仕事の案内が来て、1日だけ働いてきました。介護との兼ね合ひもあり、力仕事も避けてゐるので、紹介されるのは大抵部屋の中で郵便物を折つて封筒に入れるやうな作業です。
今日もさういふ仕事。集まつたのは私をふくめ、いつもより少なめの3人です。Aさんは七十がらみの男性。Bさんはこれも七十前後と見える人の好ささうなエプロン掛けのおばあさん。
作業の合間合間に雑談が始まる。まづはAさんから妻にまつはる身の上話が出る。
8年前に悪性リンパ腫が見つかつた。地元の日赤ではとても対処できないと言ふので、だいぶ離れた別の市の医大病院に入院する。そこで「幹細胞移植」を勧められる。
事前に7クールの過酷な抗がん剤治療があつたこと。術前術後合はせて7カ月近く入院が続いたこと。医大の研究に協力するとの契約で200万近い入院費がゼロになつたこと。手術はうまくいつたものの、今でもなかなか本調子ではないこと。
そんな話がひと通りすんだあとで、
「孫が6人ゐるんです。内孫は1人で、あとはみな外孫。でも、外孫のほうが可愛い」
さう言つて、スマホに入つてゐる一番お気に入りの外孫の写真を見せてくれる。
Bさんにも見せる。Aさんは見せながら、
「歌舞伎俳優の市川海老蔵さんに勸玄くんといふ息子がいるでしよ。あの子に似てるとよく言はれる」
と、いかにも孫好きのおぢいちやん丸出しです。
すると、Bさんが
「孫は可愛いね。私には孫なんて…」
とポツリと漏らす。
Bさんもこの歳なら、孫が何人ゐてもおかしくない。最初私は気にもとめなかつたが、しばらくして今度はBさんの身の上話が始まつた。そして思ひもかけなかつた話が展開するのです。
20年ほども前から心臓を患つてゐたご主人が、薬でだんだんと体を痛め、ちやうど1年前に他界。息子が2人ゐて、長男が父の家業を継ぐ予定だつた。ところが5年ほど前、次男が病死。それにショックを受けた長男は精神を病み、とても仕事どころではなくなつた。
しかも、もう少し聞くと、娘さんも2人ゐたが、2人とも幼くして亡くなつたといふ。そしてBさん本人も8年ほど前大腸がんになつて手術した。抗がん剤はきつくて途中でやめたが、手術のお蔭か、今に至るも再発がない。
そんな話をひと通りし終はつて、Bさんは
「何から何まで不幸だらけなんです。不幸しかない人生。どうしてこんなに不幸ばかりなのか…」
と、絞り出すやうな声で結論をつける。
息子さんは2人とも未婚だから、孫は1人もゐない。引きこもりになつた息子さんを抱へて、かうしてわづかな収入のためにシルバーに籍を置いてゐる…。
慰める言葉もない。と同時に、
「どうして、今日、かういふ偶然に出会つたんだらう?」
といふ思ひが浮かんできたのです。
AさんもBさんも病気に悩まされ、決して楽な人生ではない。しかし一方には病身ながら妻と可愛い孫が6人おり、もう一方には旦那さんも孫もゐない。2人の話を聞いてゐる私は20年前に妻を亡くしてゐる。
今日のこの3人の出会ひは「偶然」といふ表現もできる。しかし一体何のためにこの「偶然」が起こつたのだらう。「偶然」は単なる「偶然」だらうか。
そのことを家に帰つてからもづつと思ひめぐらしてゐると、あるブログの中に
「偶然の浄化」
といふ言葉を「偶然」に見つけたのです。
そのブログによると、偶然はその機会を浄化するために私の目の前に現れるといふのです。
Aさんの妻の悪性リンパ腫も、Bさんの山盛りの不幸も、今日私が「偶然」に出会つて、それを浄化するためであつた。どうも、さういふことのやうです。
これはどういふことかといふと、「偶然」に出会つた今日の問題は他人事ではない。私自身の問題だといふことです。私の問題に気づくために、今日Aさん、Bさんと出会つたのです。
だから「偶然を浄化する」とは、「偶然」を通して私の中の問題を浄化するといふことです。
もちろん、私の中にどんな問題があつて今日の「偶然」に出会つたのか、その詳細は分からない。仏教的にはかういふとき「袖すり合ふも他生の縁」と言ふのでせう。だから仏教なら、「南無阿弥陀仏」と唱へる。
前の記事でも書いたやうに、今の私ならその名号の代りに「ありがたう」と唱へる。
「私の中の問題に気づき浄化できる偶然を与へていただき、ありがたう」
といふことです。
私の中の問題が浄化されたぶんに応じて、AさんBさんにも助けになると信じる。

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