芳一の「ありがたう」
ある精神科のお医者さんが高齢者のグループホームを訪ねたときのことです。
そこに集まつてゐる高齢の利用者さんたちは、他の施設と比べて明らかに表情が明るいと感じた。そこで、医師はその施設の方針を尋ねたところ、
「こゝでは、何をしても『ありがたう』といふことにしてゐる」
といふ答へだつたといふのです。
そこに集まつてゐるのはみな高齢者でもあり、中には認知症の進んだ人もゐる。ご飯をこぼすこともあれば、他の利用者と喧嘩をすることもあるし、トイレで失敗することもしばしば。
さういふときに
「どうしてこんなことをするの?」
とか
「こんなことをしては駄目です」
などとは言はない。
その代はりに、どんなときにも
「ありがたうね」
と声をかける。これを徹底してゐるといふのです。
特に認知症の人は、「正しい」ことを教へられても、そもそもそれを理解できない。だから矯正できないし、良くも悪くも学習できない。
スタッフが「正しい(と思はれる)」ことを教へようとすると、言はれたほうには「怒られた」といふ負の感情だけが残る。逆に行為の良し悪しにかかはらず「ありがたう」と言はれれば、「うれしい」といふ感情だけが残るのです。
つまり、少し極端に言へば、言葉の「内容」は残らず、言葉によつて引き起こされた「感情」だけが残るといふことです。
「ありがたう」の言葉かけを徹底するやうになつて、スタッフによれば、利用者さんたちの表情が次第に穏やかになり、喧嘩そのほかの問題行動も減つたといふ。
これは私も家で母を介護しながら、実感する。
冬場のトイレは布団から出るだけでも寒い。布団をはぐると「寒い!」と言つて大声をあげて抵抗することもある。
それをなんとか宥めながら用を足し、オムツを履きかえてベッドに戻すとき、
「ご協力、ありがたうね」
と言ふと、おばあちやんは恐縮して
「それはこつちが言ふこと。ありがとうね」
と返す。
最初の抵抗はすつかり消えて、穏やかに布団に入るのです。かういふ点、認知症の素晴らしささへ感じます。
「ありがたう」の五文字が持つ威力の大きさ。これについては昔から注目してゐるのですが、こゝで私は「耳なし芳一」の話を思ひ出す。
めくらの芳一は琵琶の名人で、「平家物語」を語らせれば、「鬼神も涙を流す」とさへ言はれた。ある夜、鎧武者が彼のもとを訪ねてきて「我らにその琵琶を聞かせてくれ」と懇請する。
目の見えない芳一は武者の足音に従つて行くと、大きな屋敷には貴人たちが参集してゐるやうだつた。芳一は「壇ノ浦」のくだりを語る。人々からはすすり泣きの声が漏れ聞こえてくる。
それが七日七晩続く。不審に思つた和尚が寺男たちにあとをつけさせると、芳一が琵琶を引いてゐるのは屋敷ではない。平家一門の墓地であつた。怨霊が鬼火となつて芳一の周りをいくつも飛んでゐた。
報告を聞いて驚いた和尚は一計を案じ、芳一のからだ中に般若心経の経文をびつしりと書く。「お経を書いたところは怨霊に見えない。声を立てずにぢつとしておれ」と和尚は命じる。
ところが迂闊にも、芳一の両耳にだけはお経を書き忘れた。それを見た怨霊は芳一の耳を引きちぎり、持ち帰つた。以来、芳一は「耳なし芳一」と呼ばれた…。
「平家物語」にまつはる有名な怪談話です。
仏教国となつた中世日本では、お経は最も霊験あらたかなものだつた。般若心経の経文はそれだけで怨霊を寄せつけない霊力を発揮すると見なされたのです。
しかし今にして私が思ふには、あれは般若心経でなくてもよかつた。「ありがたう」の五文字をからだ中に書いたなら、それでも怨霊は退散したのではないか。
日本は昔から「言霊の幸ふ国」と言はれる。数ある言霊の中でも「ありがたう」は一等の言霊ではないかと思ふ。

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