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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

和語漢語の美意識

2022/02/04
読書三昧 0
本居宣長
春は曙

ブログ記事を書きながら、しばしば気にかかることがある。

「この言葉は漢字で書いたほうがいゝか、かながいゝか」
といふことです。

日本語を表す文字には大きく、漢字、ひらかな、カタカナの3種があるのですが、これらが文章全体の中にどれくらゐの割合を占めるかで、その文章の解読性も違つてくるし、見た目も違つてくる。この塩梅は書き手によつて微妙に違つてゐて、知らず知らず読むときの印象に影響を与へてゐると思ふ。

いくつか代表的な文章を例に挙げてみませう。

春は曙。やうやう白くなりゆく山際、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、蛍飛びちがひたる。雨など降るも、をかし。
(『枕草子』清少納言)

リズムもあり、本当に美しい文章ですね。平安時代の女性の手になる文章ですから、漢字は多くない。

それでも「曙」は漢字で書いてゐる。和語なのだからかなで「あけぼの」と書けばどうでせうか。一方、同じ和語の「あかりて」には漢字(例へば「明かりて」)を当てない。微妙な使ひ分けをしてゐます。

一方男性は伝統的に漢字優先でした。漢字を「本字」と呼んで、最も格上の文字としたのです。

外史氏曰、余修将門之史 至於平治承久之際、未嘗不舎筆而嘆也。
(『日本外史』頼山陽)

頼山陽は江戸時代の代表的知識人の一人です。この文には漢字のみで一文字のかなもカタカナもない。伝統的な漢文読み下しの体で、今の我々としては読みにくいことこの上ないですね。

しかし徳富蘇峰はこの頼山陽の文章を
「完全に日本語化された漢文だ」
と言つて褒めたさうです。

ところが同じ江戸時代でも、ずいぶん趣の違ふ文章を書いた男性もゐる。

漢意とは、漢国のふりを好み、かの国をたふとぶのみをいふにあらず、大かた世の人の、萬の事の善悪是非(ヨサアシサ)を論ひ、物の理をさだめいふたぐひ、すべてみな漢籍の趣なるをいふ也。
(『玉かつま』本居宣長

本居は当代随一の博識で古書に通じ、大著『古事記伝』を書き上げた学者です。この学者は、当時多くの知識人が無闇に漢字、漢文、漢籍をありがたがるのを快く思はなかつた。

それでも、「からごころ」を「漢意」、「からくに」を「漢国」、「からぶみ」を「漢籍」と書く。「よさあしさ」を言ひたいところを「善悪是非」と書く。確かに和語を言ふのに漢字に頼つてゐます。本居にしても、もはや漢字なしには日本語を存分に表現することはできないといふことです。

もう一人、同じ江戸時代の名文家を挙げませう。

按ずるに、後醍醐不徳にておはしけれども、北條が代のほろぶべき時にあはせ給ひしかば、しばしが程は中興の業を起させ給ひしかど、やがて又天下みだれて、つひに南山にのがれ給ひき。
(『讀史餘論』新井白石)

彼の文章はかなり和文脈の勝つた文章です。それでも「後醍醐不徳」「中興の業」など、議論の要となるところでは漢語を用ゐてゐます。

最後に明治の文豪の一人、芥川龍之介の作品から一文を読みませう。

或日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待つてゐた。
廣い門の下には、この男の外に誰もゐない。唯、所々丹塗の剝げた、大きな圓柱に、蟋蟀が一匹とまつてゐる。
(『羅生門』芥川龍之介)

「或日」「暮方の事」「唯」などと書く人は、今では多分ゐない。たいていは「ある日」「暮(れ)方のこと」「ただ」と書くでせう。しかし彼の時代には珍しいことではなかつたかも知れない。

「蟋蟀」は「きりぎりす」と読む。これはルビがないと読めないでせう。
彼の時代には読める人が多かつたのかも知れない。

しかしこんにち、
パソコンで「きりぎりす」と入力しても容易にこの漢字変換はできない。それでも「きりぎりす」ではなんだか間延びする。5音節を2文字で表すことで文章がグッと締まる。芥川の美意識からすれば、この2文字の漢字は決して外せなかつたでせう。

と、こゝまで書いてきて振り返つてみる。

例へば、「ずいぶん」。以前はこれを「随分」と書いてゐました。ところが、私が一目置く文筆家の中には結構これを「ずいぶん」と書く人がゐる。

「知れない」は「しれない」と書くこともある。「言ふ」も「いふ」と書いたりする。このへんは揺れてゐます。

白石は「ほろぶ」「みだれて」「のがれ」とかなで書いてゐますが、今の私なら「滅ぶ」「乱れて」「逃れ」と書きたくなると思ふ。しかし白石がなぜこれらをかなで書いたかといふと、みな和語だからです。和語にむりやり漢字を当てる必要はない。さういふ考へでせう。

ふだん「これは和語か、漢語か、あるいは和漢混淆語か」などと意識することはほとんどない。しかしいくらかでも言葉の成立歴史に思ひをいたせば、日本語の奥深さにふれるやうで、これほどに面白いことはあまりないのです。

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