常識的な保守主義者
孔子様が『論語』の中で語つてくれた有名な人生論。
十五で学問に志したのを皮切りに、いくつかの年齢の段階を踏んで七十歳で学問を成就したといふ、あれです。
これに対して、小林秀雄は
「単に個人的な体験談として告白したのではない」
と言ふ。
さらには、
「単に学問的知識を増やすには時間がかかると言ひたかつたのでもない」
と言ふのです。
それなら孔子様の告白は一体何だつたのか。
「年齢は真の学問にとつては、その本質的な条件を成す」
と孔子様は言ひたかつた。
これが小林の見立てです。彼の著書『常識について』の中でさう書いてゐます。
その書名の通り、孔子様の人生論は特別なものではなく「天下の大常識」である。小林の言ひたいのはさういふことではないかと思ふ。
なるほど七十になつてみなければ、学問がこのやうに成就するのかと言ふことは分からなかつた。なるほど、生きるとはかういふことだつたのか。
実人生を生きて初めて分かる、かういふ生活感情。これを小林は「常識」と呼んでゐるやうです。
「人生とは何か」
と問うて、簡単に答へは出せない。
人は皆自分の人生を生きてゐるのだが、その生きてゐることをふつうは敢えて意識化はしないものです。毎日家族と一緒に暮らし、仕事に出かけ、様々な経験を積み重ねる。その中で幸福を感じたり、悩んだりする。
体験をするたびに、それを反省し、反芻するのですが、その多くは無意識で不可知な働きです。そのやうな人生を孔子様は自ら振り返つて言葉にしてみた。
さうすると改めて、
「あゝ、人生にとつて年齢は本質なんだなあ」
といふことが分かる。
こゝで話は少し飛ぶが、適菜収は『小林秀雄の警告』の中で、
「小林は本質的な保守主義者だ」
と断じてゐます。
適菜によると、
「保守とは『常識』に従つて生きることであり、保守主義とは『常識』が失はれた時代に「常識」を取り戻さうとする動き」
のことです。
だから真の保守主義者(つまり常識のある人間)は、革新勢力が「非常識」なことをしようとすると驚き、「乱暴なことは止めろ」と警告する。
かと言つて、保守主義者はただ単に旧習を墨守する人ではない。人が年齢とともに応分の変化をして行くやうに、時代に合はせた変化をしようとする。ただ、なるべく急激な変化は避けようとするのです。
なぜなら保守主義者は、人間理性を懐疑するからです。人間は完全な存在ではなく、判断を間違へる可能性がある。だから、変化はなるべく徐々にしようとするのです。
保守に対する革新は、「常識」ではなく「イデオロギー」によつて、この変化を急激にしようとする。保守主義者にはそれが「乱暴なこと」に見え、危険と感じるのです。
火事が起きたら、保守主義者はバケツに水を汲んで消さうとする。あるいは電話をかけて消防車を呼ぶ。そもそも、ふだんから防災訓練を行ひ、あらかじめ避難経路を確認しておく。
とても当たり前なことばかりです。火事をこんにち日本を取り巻く世界情勢と考へれば、保守的な政策がどんなものであるべきか、自然と見えてきます。
保守は何か特定のイデオロギーではない。むしろイデオロギーを「乱暴なことをしかねない」として警戒するものです。「常識」には何のイデオロギーもないことを考へれば、これも当たり前のことでせう。
常識は、十五で志したものが七十で成就する人生を味はひたい。私も「常識的な保守主義者」でありたいと思ふ。

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