あゝ、あれは安かつた
心の価値、私にとって心がどれほど高価なものかを考えてみましたか。心は体が間違った所に行こうとすれば、いつでも忠告し、「こうしてはいけない」と、すべて制裁を加えるのです。 (『天聖教』4-1-2-25) |
私は私の心を保持するためにお金を払つた記憶はないが、確かに代金を請求されるなら、どれくらゐ払ふ必要があるでせうか。
仏教の『阿育王譬喩経』の中に、かういふ例へ話があります。
ある所に賢明な王がゐた。その王が臣下に一つの命令を下した。
「隣国に赴き、我が国にはないものを買つてこい。それを用ゐて我が国を一層幸福な国にしたい」
お金に糸目は付けないと言はれ、臣下は隣国に出かけるが、いくら探しても我が国にないやうなものを売つてゐる店は見つからない。徒手空拳で帰るしかないと思つてゐたところに、一軒だけ造りの立派な店が目についた。
覗いてみると、店の中には何も商品が置いてない。
「この店では何を売つてゐるのか」
と店主の老人に尋ねると、その老人は
「智慧を売つております」
と答へたのです。
その智慧とやらはいくらで売つてゐるのかと尋ねると、
「少々高うございますが、500両ならばすぐにお分けしませう」
と言ふ。
臣下が大枚を渡すと、老人は次の言葉を教へてくれた。
「物事を落ち着いて考へ、道理を見極めよ。決してすぐ腹を立ててはならぬ」
さう言つた後、「今すぐには不要に見えても、いつか役に立つときがありませう」と付け加へた。
臣下はやゝ落胆したけれども、その言葉を何度も口で諳んじながら、国へ帰つた。家に帰り着き、「今帰つた」と呼ぶも、返事がない。玄関を見ると、妻の靴の他にもう一つ別の靴がある。
「さては、留守の間に間男をしたか」
頭にさつと血が上り、2人とも成敗してくれると剣を抜いて奥の間に飛び込まうとしたその刹那。老人から買つた言葉が脳裏に浮かんだ。
「ちよつと待て。落ち着いて考へてみよ」
さう思つて、一旦抜いた剣を鞘に納めてゆつくりと奥の間の戸を開けると、そこには妻とその母親がゐたのです。
話を聞いてみると、主人の長旅の間に妻は病を発し、頼る人がないので実家から母親が来て看病してくれてゐたといふ。
それを聞いて臣下は思はず、
「あゝ、あれは安かつた!」
と叫んだ。
もしあの言葉を500両で買つてゐなければ、今頃自分は怒りに任せて妻も母も切り殺してゐたに違ひない。だからあの500両は安い買い物だつたと合点したのです。
臣下はあの一言を人から買つたのですが、我々はわざわざ隣国まで出かけて買ふ必要などない。その言葉は、聞かうとすればいつでも自分の心が教へてくれるはずのものなのです。その心を良心と言ふ。
それほど有り難い良心の価値を、どうして我々はふだんあまり感じもせずに生きてゐるのでせうか。目を覚ます必要があります。
しかし、体はいつも心(良心)を攻撃し、無視し、踏みつけて、自分勝手にするのです。迫害を受けながらも、死ぬときまで私にとっての戦友のように、師のように、主体的使命を担うべく犠牲を払っていくのが、体についている心(良心)です。 (同上) |

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