「旧かな」擁護論
いよいよ今日は大つごもり。徒然ついでに、今日も筆に任せて(実際はキーボードですが)書いてみようと思ひます。
つい先日も、コメントをいただきました。
「いつもブログを楽しく読ませていただいてゐますが、旧かなは読みづらい」
と仰るのです。
今どき旧かな(本当は歴史的かな遣いひと言ふのがいゝ)を使ふ人は極々少数派でせう。学校で教はり、長い間使ひ慣れてきたかな遣ひとは多少違ふところがあるので、ちよつと引つ掛かつて読みづらい。それは私も承知してゐます。
それでも私が少数派に留まるには、それなりの理由がある。理由の半分は理屈、もう半分は書き心地です。
私の旧かなとの出会ひは、大学受験時代に出会つた福田恆存の『私の国語教室』が最初でした。福田は歴史的かな遣ひの合理性を微に入り細を穿つて説明してゐる。
以来、私は私文書ではまつたく旧かなに切り替へた。
今から12年前にブログを始めたとき、記事は新かなで書いた。私文書とも言へないし、パソコンの文字変換は基本的に新かなに準じてゐるので、まあそれに従つたのです。
ところが数年前、萩野貞樹の『旧かなづかひで書く日本語』に出会つて、私の旧かな嗜好が蘇つた。ブログといふ発信文書に今どき旧かなはどうかなといふ危惧はあつたものの、「まあ、いゝや」と思ひ切つたのです。
旧かなと新かなは、基本原則が違ひます。簡単に言へば、旧かなは「語に従ふ」のに対して、新かなは「音に従ふ」。
ところが、新かなは「音に従ふ」と言ひながら、不徹底なところがいくつもある。例へば、同じ音と認識される「お」と「を」の2つを残す。「わ」と「は」を使ひ分ける。これは明らかに「語に従ふ」原則に引きずられてゐるのです。
また、例へばこゝで使つた「従ふ」といふ語も、新かなでは「音に従ふ」といふ原則によつて「従う」と表記します。しかしこれは本当に音に従つてゐるのか。
例へば聖歌「我は行く」といふ曲に「我従う」といふ一節があります。この歌詞を歌ふとき、実際には「われ、したごー」と発音してゐるのです。こゝで「う」の音はとても発音しにくい。
そればかりではない。ふつうに「従う」と発音するときでも、本当に我々は「う」と発音してゐるのか。この「う」はかなり曖昧で、「ふ」に近い感じもする。
まあそんなふうに、理屈はずいぶんあるのですが、一言で言へば、旧かなは「気持ちいゝ」。それが本音です。
慣れない人には読みづらいといふのは確かに否定できない。しかし、例へば次の一文を読んでみてください。
一匹は目に、一匹は口に、一匹は耳に手をあててゐます。見ざる、いはざる、聞かざるといふのださうです。 |
萩野さんは大学で、この文章を学生たちに読ませてみた。小学生に教へる文章です。すると、もちろん何の問題もなくみんなすらすらと読んだといふのです。我々でも多分さうでせう。
特に「見ざる、いはざる、聞かざる」は古語、文語です。古い言葉を古い表記でそのまゝ書く。そのほうがどれだけ自然でせうか。
ついでにもう一つ。芥川龍之介の『羅生門』の書き出しです。
或日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待つてゐた。 廣い門の下には、この男の外に誰もゐない。唯、所々丹塗の剝げた、大きな圓柱に、蟋蟀が一匹とまつてゐる。 |
これをある教科書では、こんなふうに書き直して載せてゐます。
ある日の暮れ方のことである。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。 広い門の下には、この男のほかにだれもいない。ただ、所々丹塗りのはげた、大きな円柱に、きりぎりすが一匹とまっている。 |
日本語には、漢字、平かな、片かながあり、漢字には音読みと訓読みがある。我々日本人は長い歴史をかけて、それらを絶妙に、しかも作者独特の感性で組み合はせ、使ひこなしてきたのです。
発音は、時代によつて変はり得ます。意外と曖昧なものです。語といふものは、さういふ変転し曖昧なものに従ふのではなく、歴史的に先人たちが磨き上げてきた形に従ふ。それが余程賢明ではないか。私はさう思つてゐるのです。

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