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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

だつて、それがふつうなんだもん

2021/12/14
愛で生きる 1
友だち

知り合ひが紹介してくれたYoutube動画を何度も見返しながら、この子はどんな子なんだらうと考へ込んでゐる。

まだ小学1年生くらゐに見える。その子がこんなふうに言ふのです。

自分のせいにできると楽だよ。問題が起きるときは、自分の愛が足りないから。
ぼくの愛が足りないから、友だちがぼくに悪口を言つた。だからぼくが彼に愛を渡したんだ。
愛を知るために、こゝに来てるんだよ。



動画の構成は、お母さんがその子に
「神様は何て教へてくれてるの?」
と尋ね、その子が
「神様はね…」
と答へる。

男の子の言ひ回しは年相応で、難しい言葉は使はない。しかし大抵の答へは意外なので、お母さんは理解しかねて、
「それつて、どういふこと? どうしてそんなふうになるの?」
と問ひ直すことが多いのです。

目に見えないことだから、どんな神様なのか分からない。眉唾だと思ふ人もゐるでせう。

しかし冒頭の答へ
「自分のせいにできると楽だよ」
などといふことを、6歳の子がふつう言ふだらうか。

しかも神様の教へを聞いただけでなく、その子はその教へ通りに実践してゐるのです。友だちから悪口を言はれたのに、それは自分のせいだ、自分の愛が足りないからだと思つて、その友だちの懐に自分から入つて行つた。

お母さんはびつくりして、
「どうして、そんなふうにできるのよ?」
と問ひ質すと、
「それが(神様の世界では)ふつうなんだもん」
と男の子は、事もなげに答へるのです。

彼が言つてゐることは、私がいつも考へてゐることとほぼ同じです。これは自慢で言ふのではなく、むしろその逆です。

私も、問題は自分の外で起こることはないと思つてゐる。それゆゑ、いかなる場合にも自分がその問題の「被害者」になる余地はないとも思つてゐる。

しかし私はそのやうに考へてゐたとしても、それを「ふつう」のこととしては容易に実行できない。こゝが6歳の男の子と大きく違ふところなのです。

「何となく、さうかも知れない」
から始まり、
「きつと、さうに違ひない」
といふ確信に進み、
「そのやうに生きてみたい」
といふ切実な願望になる。

しかし、そこから
「それがふつうなんだもん」
に至るには、大きな跳躍が必要な気がする。

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なるほど、池田晶子2
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Comments 1

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🍀

これから絶対信仰と絶対愛の人になります🍀

私の愛が足りませんでした。
心に国境のような境界線をつくらず、愛します。
今起きていることも、これまで私の愛が足らなかった事が原因です。

ごめんね、許してね、ありがとう、愛してる

2021/12/15 (Wed) 07:16