マルクス主義を後押しするもの
カナダの心理学者、ジョーダン・ピーターソン博士がパネラーとして出席した討論会で、参加者からかういふ質問を受けました。
古典的なリベラリズムや他のイデオロギーに比べて、なぜマルクス主義はこれほどまでに深く浸透してゐるのでせうか? |
それに答へて、心理学的観点から彼は持論を展開します。
当時(18世紀)の共産主義者は、今日のマルクス主義者ほど哲学的に悪質ではなかつたのです。その後、古い貴族的なヨーロッパの構造は崩壊し、悲惨な戦争を経験しました。共産主義体制と比べれば、問題の多い帝政時代でさへ『地上の楽園』のやうなものでした。 共産主義はユートピア思想なので、一見魅力的に見えますが、暗い面が隠れてゐます。自分より豊かな人々は皆、他人から盗んで富を手に入れてゐるといふ認識です。そして、それは人間の持つカイン的要素に働きかけるのです。 |
「カイン」とは言ふまでもなく、聖書に登場する人物です。弟のアベルとともに神に供へ物をしたのに、弟のものだけが受け取られ、カインのものは拒否された。神によるその差別的対応に憤り、嫉妬から弟のアベルを殺害したと記録されてゐます。
現世において、富める者と富まざる者とが存在する。富める者がアベルで富まざる者がカインとすれば、富まざる者には「カイン的要素」が発動する可能性が高い。
豊かな人々は不正な手段で富を手に入れてゐるといふ現実は、(豊かでない人々の)妬みの感情や同様の不正行為を正当化してしまひます。そしてその人々は「自分の不正行為は平等に寄与してゐる」と考へるやうになるのです。 このやうな「恨み」による恐るべき哲学は、今や非常に病的で反人間的な精神性によつてさらに悪化してゐます。そしてこのやうに「恨み」に基づいた目に見えない動機を持つ人々が存在し、マルクス主義の復活を後押ししてゐるのです。 |
今日、国家体制としてのマルクス主義は数か国を残して、地球上からほぼ消えたとも見えます。しかし、我々の中から「カイン的要素」が消えたとは言へない。
ピーターソン博士は、今日マルクス主義は初期の形を巧みに変へ、主として2つの思想に変異してゐると見てゐます。その一つがポストモダニズム、もう一つがアイデンティティポリティクスです。
これらの思想は国家を建てようとはしない。むしろ既存国家の中にあつて中堅管理職の地位を掌握し、そこから国家をコントロールしようとする。最も厄介なのは、そのことを大多数の国民は頓着してゐないところにあるといふのです。
これに対抗することは容易ではないと博士は指摘する。確かに、地道で着実な巻き返しが必要になるでせう。その巻き返しの本質が何かと考へると、それはただ一つ、「アベル的要素」でしかないと思ふ。
「カイン的要素」と比べたときの「アベル的要素」とは、「恨み」を持たないことがその第一です。「恨み」は「誰かから害を加へられた」といふ「被害者意識」なので、この意識を手放す必要があります。
我々は誰かがカインで、誰かがアベルなのではない。私一人の中に「カイン的要素」があり、「アベル的要素」があるのです。だから、その私の中から「カイン的要素」を手放し、「アベル的要素」を育てる必要があるでせう。
マルクス主義が我々の中に深く浸透して消え去らないのは、その思想と行動を糾弾する人が少ないからではない。むしろ批判ばかりする人は多い。自分の中にある「カイン的要素」をそのまゝ放置して省みない私の故だと考へないといけないと思ふ。

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