おばあちやんの「だるまさんが転んだ」
私の誕生日を翌日に控へた去る5日、おばあちゃんはいつものやうにデイサービスに行つて入浴などをして、いつものやうに帰つてきた。
帰るとすぐベッドに入るのですが、しばらく見てゐると、様子が何となくいつもと違ふ。いつもなら大体スムーズに夕食まで仮眠するのに、この日はなかなか寝ない。そしてやたらと動く。
目の前の虚空に何かあるかのやうに手を伸ばしては、掴んだ(と思へる)ものを口に入れるやうな仕草をする。そして誰かに向かつて喋つたり、どこかに行かうとしたりする。
日が落ちて、夕食を準備する。ところが食べさせようとしても、心こゝにあらずで、しきりに何かしゃべり続ける。スプーンで口に運んでも、一心に喋るので食べ物を吹き出す始末。
かういふ様子を見てゐると、ふいに不安に襲はれる。意識がこの世からあの世へ移りつゝあるのではないか。今年いつぱい持つだらうか。
不安のまゝ、一夜を明かす。予想外のことは翌日、私の誕生日に起きたのです。
心配しながらも買ひ物が必要なので、1時間ほど出かける。急いで帰つてみると、ベッドにおばあちゃんの姿がない。これまでもさういふことは時々あり、大抵は床に降りてひつくり返つてゐる。
ところがこの日は、部屋のどこにも姿がないのです。そして部屋の中は妙に散らかりもない。
廊下にもゐない。一体何が起こつたのか。不安のボルテージが一気に上がる。

耳を澄ますと、どこからカタコトといふ音がかかすかに聞こえる。向かひの和室の襖を開けてみると、こゝにはゐない。
廊下を5mくらゐ進んで、まさかと思ひながら、トイレのドアを開けてみる。ゐない。
隣りは風呂場。考へられるのはもうこゝしかない。ドアを開けてみる。洗ひ場におばあちやんがひつくり返つてゐる。冷えびえとしてゐるのに、オムツを半分脱いでゐる。
慌てて抱き抱へ、ベッドまで連れ戻す。布団をかけ、湯たんぽを温める。
「温かい~」
と、おばあちやんは九死に一生を得たやうな声を出す。
それにしても不思議だ。ベッドから風呂場までは、少なくとも7mはある。普段の体力から考へれば、この距離を移動することはあり得ない。
歩いていくことは不可能。這つて行つたとしても、この距離。どれほどの時間をかけて移動したのだらう。
目は見えてゐない。どうやつて風呂場のドアを開け、洗い場まで降りたのだらう。オムツを半分脱いでゐたのは、そこで用を足したいと思つたのかも知れない。
「だるまさんが転んだ」といふ子どもの遊びがあります。今回の出来事は、約1時間に及ぶやゝ長めのだるまさんです。見てゐない間に、どうやつて7mを移動したのか。キツネにつままれたやうな思ひです。
それにしても、おばあちやんの様子はむしろ落ち着いてきた。ご飯はしつかり咀嚼し、「美味しい」と反応する。意識は取り敢えずこの世のほうに戻つてきたやうに見える。
知り合ひの看護師に聞くと、最期を迎へる直前、一時的にエネルギーが高まることがよくあるやうです。よく喋り、よく動く。さうしながら、波のやうに上がり下がりがあつて、だんだんと波は下がつていく。
しかし今のところは、来年の正月を迎へられさうです。

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