誰かが私の心を傷つけることは可能か
「あの人のあの一言で私は傷ついた」
などと言ふことがあります。
この場合、あの人が私を傷つけたと私は思つてゐるのですが、傷ついたのは私の体ではなく、私の心でせう。言ふまでもないほど当たり前なことのやうに見えますが、こゝでちよつと疑問を呈したい。
「誰かが私の心を傷つける、といふことは本当に可能なのか」
といふ疑問です。
誰かが私の体を傷つけるといふことは可能です。誰かがナイフを持つて私の脇腹をぶすりと刺せば、私の体は彼によつて傷つけられる。
これはなぜ可能かと言へば、彼の体と私の体が同じ一つの世界に存在してゐるからです。だから、彼が私の体を傷つけることもできるだけでなく、逆に私の体を治療することもできる。
ところが、彼の心と私の心は同じ一つの世界に存在するものか。さうではないと思ふ。
彼は彼の心の世界を持つてゐる。私も私の心の世界を持つてゐる。彼の心と私の心は別々の世界に存在してゐるのです。それなら、彼が私の心を直接に傷つけることはできない。
もしさうだとすれば、私の心が傷ついたと感じるとき、一体誰が私の心を傷つけてゐるのでせうか。私の心の世界には私しかゐないのだから、私の心を傷つけ得るのも私しかゐない。理屈で考へれば、さうとしか言へないでせう。
さうは言つても、しかし。
実際には、あの人の言葉は相当ひどい。もう少し優しく言つてくれれば、私の心は痛みを感じないはずなのに。さう思ひます。
ひどい言葉よりも優しい言葉のほうがいゝ。それはいゝに決まつてゐます。しかしひどい言葉でも、私のことを心配して言つてくれてゐると受け止めることもある。優しい言葉でも、下心を疑ふこともある。
これは何かと言ふと、どんな言葉でも私が必ず翻訳(解釈)して受け止めてゐるといふことです。どんな言葉をどんなふうに解釈するかといふプログラムが自分の中にあるのです。
例へば、「あなたバカ」と言はれれば、大抵の人は腹を立てる。プライドの高い人なら逆上するかも知れない。これも「あなたは能力が高い」といふ以外の評価を排除するといふプログラムが我々の中にあるからでせう。
それなら、心が傷つくといふ問題の解決のためには、まづ自分の中のプログラムを書き換へればいゝのではないか。さういふ考へもあり得ます。
小林正観といふ人が面白い実験を紹介してくれてゐます。
ある人が鶏を飼ふときに、カルシウムを一切与へないで3ヶ月飼育してみた。すると案の定、鶏は殻のついてゐない卵を産み始めた。これを確認した上で、次の3ヶ月間、カルシウムは与へないまゝでカリウムを餌に入れて飼育してみた。
すると1ヶ月ほどが過ぎる頃から、殻のついた卵を産み始めたのです。この結果を見て、実験者は考へた。
「カルシウムを全く与へないのに、カリウムだけで殻のついた卵を産んだといふことは、鶏の体の中でカリウムをカルシウムに変換する一種の『核融合反応』が起きたのではないか」
通常、核融合反応は数千万度の超高温でないと起こらないものです。それがわづか39度の鶏の体内で起きた。常識では考えられないが、さういふ推察が成り立つかも知れない。
実験の真偽のほどは定かでないものの、これはなかなか面白い話だと思ふ。
「あなたはバカだ」といふ言葉は、謂はばカリウムです。それを体内に取り込み、体内でカルシウムに変換すればいゝのです。
具体的には、
「あなたバカと言はれると、私は嬉しくて元気が出る」
といふ新しいプログラムで古いプログラムを上書きするのです。
これができれば、「あなたバカ」と言はれても、私の心は傷つかない。傷つかないどころか、言はれるほど元気になる。
尤も、理屈で言ふほど簡単ではないでせうね。
ただ言ひたいことは、従来のプラグラムのまゝであれば、
「私はあなたの言葉で傷ついた」
といふ被害者の立場に留まり続けるしかないといふことです。

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