自分たちの心を大切に守る
私たちにとつて結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択でした。(小室眞子さん) 私は眞子さんを愛しております。一度きりの人生を愛する人とともに過ごしたいと思つてゐます。(小室圭さん) (記者会見 2021年10月26日) |
眞子内親王が小室圭さんと結婚し、いよいよ皇室を離れていかれることになつた。長年の思ひを実らせて結婚にまで至られたこと、心からお祝ひ申し上げます。
今日の記者会見を聞いてゐて、私の耳に一番強く残つたのが眞子さんの言はれた
「自分たちの心を大切に守る」
といふ言葉です。同じやうな表現は、これまでに何度かされたやうな気もする。
今日改めてその言葉を聞き、そして同時に眞子さんの隣で心境を述べた圭さんの言葉と聞き比べて、何とも言へない、やゝ複雑な感慨を抱いたのです。
圭さんの言葉は単刀直入です。
まづ
「眞子さんを愛しております」
と、率直な気持ちを表明する。
そして、その愛する人と、一度しかない人生を一緒に過ごしたいと言ふ。
このやうな言葉はもちろん、今日まさに結婚する人としては自然な本心の発露であり、決しておかしな言葉とは言へない。しかし眞子さんの言葉と聞き比べたとき、私にはこの2人がお互ひ、何かちよつと違ふ世界にゐるのではないかといふ気がしたのです。
圭さんは、自分はこの人を愛してゐるのだから、一緒にゐたいと言ふ。それは至極当然のやうに聞こえる。しかしその一方で眞子さんは、「自分たちの心を守るためには、かうするしか選択肢がなかつた」と言ふのです。
この2人の言葉には、曰く言ひ難い「ズレ」があるやうな気がする。
眞子さんが守りたいといふ「心」とは、一体どんな心なのか。もちろん本人がそれを具体的に説明してはおられないので推測するしかないのですが、この「心」は結構重たい「心」のやうな気がする。
仮に、皇室や父母、さらには国民全体の希望を忖度してこの結婚を諦めるなら、この「心」を守ることができない。皇室の一員であるといふ「公」の立場を優先するか、それとも自分の「心」を守るか。その選択は決して軽いものではなかつたでせう。
眞子さんは自分の立場をよく知つてゐる。皇室の伝統から見ても父母が100%賛成し喜んでくれないことも分かる。分かりながらもそれに折り合ふことのできない自分の「心」が、どうしてもある。
圭さんとの結婚は、だから「公の人」である眞子さんとしてかなり苦渋の決断だつたらうと思ふ。「必要な選択でした」といふ一言にそれが滲んでゐるやうな気が私にはするのです。
その眞子さんの苦渋を圭さんは、夫として十分に受け止めることができるだらうか。
「愛してゐるので、一緒に過ごしたい」
といふ圭さんの言葉には、受け止める覚悟を、残念ながら、汲み取ることが私にはできない。
もちろん、圭さんの言葉はこれだけではない。言葉にはならない覚悟はあるのだと思ひたい。
いづれにせよ、圭さんは相当重たい人生の課題を背負ひ込んだと思ふ。結婚したからには、眞子さんが苦渋の果てに守らうとした「心」を、くれぐれも一緒に守り通して行つていただきたい。
私の気がかりが杞憂に終はることを願ふものです。

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