私の中の「三位一体」
人生の悩みの大半は、直接間接に人間関係に関はつてゐると言つていゝでせう。どうして人間関係に難しさが伴ふかといふと、自分自身の中の人間関係に原因があるのではないかと思ふ。
私の中の人間関係とはどういふこと? 私の中に何人もの人がゐるのか? 自分は自分、ただ一人ではないのか?
■私の中に3人ゐる?
一見すると、私は私で一人しかゐないと思はれる。しかし、私の中には少なくとも3人の人(人格、あるいは心)がゐるのではないかと思ふのです。
キリスト教では「三位一体」と言つて、神には3つのペルソナがあるといふ神学を持つてゐます。「父」と「子」と「聖霊」です。私の中の3人もこれに似てゐます。
「三位一体」は難解な神学だとよく言はれますが、なかなか面白いと思ふ。
しばしば神は「唯一絶対」などとも言はれる。しかしいくら神が素晴らしいと言つても、何かを感じたり考へたりするプロセスには、必ず相手が必要なのです。
感じるにも考へるにも一人ではできないので、最低2人はゐなくてはならない。だから神が二性性相だといふのは理に適つてゐます。
しかし「三位一体」神学では3人ゐると言ふのです。2人でもいゝが、3人ゐるとコミュニケーションはづつと深まります。
神と同様、私の中にも「父」と「母」と「子」の3人がゐると思ふ。仮説的に言へば、良心が父、生心が母、そして肉心が子です。あるいは意識といふ言葉を使ふなら、超意識が父、意識が母、無意識が子と言つてもよいかと思ふ。
この3者が一体でありながら、同時にそれぞれの役割を分担してコミュニケーションを取り合つてゐる。かういふ内面の人間関係を自覚することはあるでせうか。
良心といふものを自覚するやうになると、折に触れて良心が私を諫めたり励ましたりするのを感じることがあるでせう。
「なぜお前はあんなことをやつてしまつたのか」
「あゝいふときには、もつとかういふふうにするのが良くはないか」
そんなふうに私を正さうとするのを感じる。すると、正さうとする良心と、良心から「お前」と呼ばれてゐる私は、別の人(人格)です。私の中で良心と私とのやり取りがなされてゐることが分かります。
■内的3人の人間関係が基本
ところがもう少し子細に自分の中を見てみると、2人ではなく3人ゐるやうに感じられる。私が1人ではなく2人なのです。つまり「生心の私」と「肉心の私」。
例へば、あるものに接して、「良い」とか「悪い」あるいは「好き」とか「嫌ひ」と思ふ。これを思つてゐる私はどの私なのか。
瞬時に現れる好悪の感情や価値判断は、どうも肉心の私が司つてゐるやうな気がします。これは肉体的には脳を土台として、無意識の中から出てくる。
好きなものは好き。嫌ひなものは嫌ひ。これはあたかも幼い子どものやうです。幼い子どもは感情が勝つてゐる。だから感情は、肉心あるいは無意識のものではないかと思ふ。
ところが、私は感情だけで物事を判断して生きていくわけにもいかない。そこで、子どもを世話し慈しむ母が必要です。それが生心であり意識です。
「これは嫌ひ」
と瞬時に思つたとき、生心がその思ひを受け取つて、
「どうして私はこれを嫌ひと思ふのだらう?」
と考へる。
もしかして、以前このことで子ども(肉心)が傷ついたのかも知れない。だからそれを怖れたり、嫌つたりしてゐるのかも知れない。さう考へて、子どもの痛みを理解してあげ、慰めてあげる。生心はさういふ母親のやうな役割をします。
さうすると子どもはとても安心して、他にも嫌ひなことがあれば、それも正直にお母さんに告げるやうになる。そんなふうにしながら、母親は子どもの中の痛みの記憶を一つづつ癒し、消していつてやるのです。
母と子の信頼関係が私の中の人間関係の基本です。その関係が良くなつた土台の上に、お父さん(良心)がやつて来ます。お父さんは神の身代はりであり、第二の神です。お父さんがお母さんと子どもに与へてくれる指針(インスピレーション)には神の権威があり、間違ふことがない。
良心は神の身代はりなので、私の中の1人といふより、半分私、半分神といふ、ちよつと微妙な立場かも知れない。だから良心を「心の師匠」と呼ぶ人もゐます。
ともかくこのやうに母と子の関係を土台として父が加はり、三人が一体となる。これが私の中の三位一体であり、内的な人間関係です。
これはまた、「祈り」の基本だと言つてもいゝ。私たちがこれまでに馴染んできた祈りは、母が直接に父(あるいはその本体である神)に向かはうとするものでした。しかし本当の祈りは、まづ母が子どもに向かひ、その子どもをよく世話し、信頼関係を作つた土台で父に向かふべきものではないかと思ふ。
このやうな内的な人間関係が外的人間関係の原型となります。内的人間関係が良好に結ばれてゐないのに外的人間関係がうまくいくといふ道理はないと思ふ。しかし往々にして我々は、この順序をあまり意識してゐないのです。だから外的人間関係が複雑になり、悩みが尽きない。

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