KAWAII私
脳科学者の茂木健一郎さんが
「『KAWAII』は対立とか闘争とか争ひとか、さういふものと無縁な世界だと思ふ」
と言つてゐます。
「かわいい!」
といふ価値評価は、日本では若い女性を中心に圧倒的な人気を誇つてゐると思ふ。
それに対して、
「KAWAII」
は、日本だけではなく世界中で通用するブランドになり得る。茂木さんが敢へてアルファベットで表記するのは、さういふ意図があるのかといふ気がします。
「きれい」とか「美しい」と言ふと、そこには
「誰は誰よりきれい(美しい)」
といふ「競争」とか「優劣」の概念が入り込む。
しかし「KAWAII」には、それがないのです。「KAWAII」には優劣がなく、それぞれが独自の「かわいさ」を持つてゐる。
いろいろな宝石を見て、
「これ、かわいい」
と言へば、それは他の宝石より「きれい」といふ意味ではなく、この宝石ならではの魅力があるといふ感嘆になる。
「KAWAII」は他のものの価値と競合しない。存在するすべてのもののそれぞれの価値が共存し得るのです。「私が一番」とは決して主張しない。
「KAWAII」には元来、強さがない。元々は弱きものが自分を守る方法が「KAWAII」なのです。動物でも人間でも生まれたばかりは大体かわいい。なぜなら、力のない自分が生きていく最高の取柄が「KAWAII」なのです。
茂木さんは、明治の文豪夏目漱石もかわいいと評価する。作品が『それから』とか『草枕』とかだけだつたら、「文豪」とは評価されたとしても、「国民的作家」にはなれなかつただらうと言ふ。漱石には『吾輩は猫である』や『坊つちゃん』などの作品があるがために、「かわいさのある小説家」になり、結果「国民的作家」の地位を獲得したと見るのです。
家庭では「KAWAIIお父さん」になる。『それから』の緊迫感とともに、『猫』のかわいさも併せ持つお父さん。そんなお父さんなら、お母さんも子どもたちもお父さんのファンになり、家庭は和やかになるでせう。
先の自民党総裁選に出馬して、惜しくも敗れはしたものの、その後同党の政調会長に就任した高市早苗さんも、「KAWAII国会議員」の雰囲気を持つてゐる。自分の政策は滔々と弁じたてる一方、所々に気さくな関西弁が混じつたり、昔の服がきつくなつたと嘆いたり、強い口調の後にかわいい笑顔を見せたり、心地よい緩さがある。この辺りに人気急上昇の秘密があるやうな気がします。
「KAWAII」があるところには、対立や闘争がない。我々も対立・闘争のない世界に入らうとすれば、「KAWAII私」になるのがいゝ。

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