Mr.Xとの対話
「ときどき、ふと、どこからともなく不安が襲つてくることがあるのです」
「どんな不安ですか?」
「例へば、毎日母の介護をしてゐるでせう。こゝ数ヶ月は体調が崩れることもなく、食欲もあるし、排尿便通も正常です。すると、かういふ状態でかういふ生活がこれからもづつと続いていくやうな気がしてゐるのです」
「それは悪くないですね」
「さうなんですが、ときどき、体調がちよつとおかしくなるときがある。そのとき急に、『あゝ、こゝで母が死んでしまへば、私の今の生活もいろいろな面で一変してしまふなあ』と思ふんです」
「例へば、どんなふうに?」
「すぐのことで言へば、葬式をしなければならない。それが済めば相続問題を整理しないといけない。そして私の経済状況もかなり変はる。この家はこのまゝでいゝだらうか…。まあ、そんなもろもろです」
「なるほど。先のことを予想すると、不安が生まれるのですね。ところで、一つ伺ひます。あなたの今の人生の目的は何ですか?」
「今の目的ですか? 今の目的は … さあ、まづは母をちやんと介護することでせうか」
「あなたは『今』お母さんを介護しておられる。今それをしてゐるのなら、今の目的はお母さんの介護ですね」
「確かにさうですね。ただ、この状態がいつまで続くのか。状況が変つたら、そのときはどうするか。それを考へると不安になるんです」
「今は歳とつたお母さんがゐるから、お母さんを介護することが目的になる。しかしさうすると、お母さんが亡くなれば、あなたは人生の目的を失ふ。それなら、あなたの人生を意義あるものにするにはお母さんが必要だといふことになる」
「私の人生の目的のためには、誰かが必要だといふことですね。それはおかしなことでせうか」
「誰かを助けることに価値がないといふのではありません。ただ、それは外的な目的なのです。外的な目的はつねに相対的で、一時的です。だからこゝで大切なのは、それを内なる第一義的な目的と結びつけることなのです」
「内的な目的が第一義的で、外的な目的は第二義的だといふことですか? それなら、第一義的な目的とは何ですか?」
「第一義的な目的の本質は、つねに一つです。地上に天国を創り出すこと。これが人生の目的の本質です」
「話が急に飛躍するやうですね」
「少し順を追つて説明しませう。大切なのは、お母さんを介護するといふ目的や行為ではなく、そのもとにある意識の状態なのです」
「私の意識ですか?」
「あなたは、お母さんの状態が急変し、亡くなつた後のことを考へると不安になる。そのときあなたは、『今、この瞬間』を無視してゐるのです」
「私が不安を感じる。それは私の意識が『今』ではなく、数か月後、あるいは数年後にあるといふことですか?」
「さうです。『今』してゐること、『今』ゐる場所を人生の主要な目的と見做せば、あなたは『時間』を否定することができるやうになります」
「『時間』を否定するとは、どういふことですか?」
「こゝでいふ『時間』は時計で測る実際的な『時間』のことではありません。むしろ、心理的な『時間』と言つたらいゝでせうか。あなたが不安を感じるのは、見つかるはずのない未来に意識を向けるからです」
「まだどうなるかも分からない未来のことを考へるから不安になるといふことですね」
「さうです。未来には何もない。未来に神はゐない。実は『今』といふ瞬間だけが、神への唯一のアクセスポイントなのです」
「神は時空を超越した方ではないのですか?」
「時空を超越するといふことは、『今』しかないといふことです」
「神には過去も未来もない?」
「さうです。だから『今、この瞬間』にしてゐることを第一に考へて『時間』を否定すると、神にアクセスします。すると、あなたの内なる目的と外的な目的とがつながります」
「内なる目的とは、地上に天国を創り出すことだと言はれましたが…」
「究極的にはさうですが、内なる目的とは『在ること』あるいは『意識の状態』です。一方、外的な目的は『行ふこと』です。今のあなたの場合で言へば、介護することが外的な目的で、それをどのやうな意識で行ふかが内なる目的になります」
「今日私はどんな意識で母を介護したかといふことですか?」
「『時間』を否定すると、あなたは自分の『エゴ(小我)』を否定することになります。すると、行為としては毎日同じやうな介護であつても、行為そのものが意識の焦点になります。そのとき、神があなたの意識を通して行為として現れるのです」
「毎日同じことが続くと、ときどき面倒くさくなることがあります」
「行為自体はルーティンかも知れません。しかし、今朝は雨が上がつて、優しい朝の陽光が部屋に差し込んでゐたでせう? 陽光はレースのカーテンを通り抜け、さらには障子を明るく輝かせてゐた」
「私も気がついてゐました。本当に今朝は秋晴れの爽やかな空気がありましたね。とても気持ちが良かつた」
「そこには神のエネルギーが充満してゐたのです。その空間の中で、あなたがお母さんを介護すれば、あなたがお母さんに神のエネルギーを惜しみなく与へてゐるのです。しかしそのときあなたが、見えもしない未来のことを考へると、エネルギーの流れはピタリと滞つてしまふ」
「さうなると、私には不安と疲労感だけが残る」
「その通りです。最後に一つ、良いことを教へませう」
「えゝ、ぜひ」
「イエス様が『私は自分からは何事もできない。父のなさることであれば、私もその通りにするのである』と言はれましたね」
「その聖句は、私も知つてゐます」
「あの言葉も、これまで説明したのと同じことを言つてゐます。つまり、『今、この瞬間』と自分自身を調和させたとき、そのときにだけ、神の力と愛にアクセスできる。さうイエス様も言はれたのです」
「私も聖句を一つ思ひ出しました。『天国は、見よこゝに、見よあそこにといふものではない。天国はあなたの心の只中にあるのだ』。これも、天国は『行為(行ふこと)』の中にではなく、『意識(在ること)』の中にあるといふことですね」
「あなたの着眼点は冴えてゐます」

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