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さうであるかのやうに、行動しなさい

kitasendo
さうである

でも、どうしてそんなことが可能なんですか?

二つの基本的な原則を適用することによって。
わたしたちはすべて一体である。
充分ある。

それは、そうしたいですよ。だが、どうすればいいか、わからないんです。決まり文句をくり返すだけでなく、道具(ツール)を与えてください。

いいとも。それが公平というものだろう。これが道具(ツール)だよ。
「そうであるかのように、行動しなさい」
(『
神との対話3』ニール・ドナルド・ウォルシュ)

平文字がニール、太文字が神のセリフです。

神は繰り返し
「地球の人類は、その意識が原始的だ」
と言はれる。

原始的な意識とは、
①わたしたちはバラバラである。
②あらゆるものが不足してゐる。
といふ意識です。

この意識が変はらない限り、人類が体験してゐるさまざまな葛藤は終はらない。だからまづ意識を変へなさいと神は言ふのです。

意識を変へなくては現状を打破できないといふのは分かつてゐる。しかしどうやつたら意識を変へられるのか。その方法が分からないのだから、具体的な方法を示してほしいとニールは神に訴へる。

それに対する神の答へが
さうであるかのやうに、行動しなさい
といふツールなのです。

「すべてがひとつであるやうに、行動しなさい。すべての人が経験してゐる『自分』であるやうに」

「充分なお金、充分な愛、充分な時間があるやうに、行動しなさい」

意識を変へたいと思ふなら、変へたいと思つてゐる意識を持つてゐる人のやうに行動せよ、といふ訳です。なるほどさうか、と思ふ。

なるほどではあるが、もちろん簡単ではないでせう。私とあなたは別の人と、づつと思つて生きてきた。私は神ではない、神は私の外におられると思つて生きてきた。さういふ私がそれと反対のことを思ふ人のやうに生きるのが容易であるはずがない。

しかし、容易ではないこの方法を神が勧めるには理由があります。

考へ→行為(創造)→結果(存在)→経験→考へ

物事は「考へ」から始まつて「経験」に至り、その「経験」が新しい「考へ」を生む、といふやうな円環を成します。

上の例で言へば、「モノに困らない豊かな私になりたい」といふ「考へ」をするとします。その「考へ」に基づいて行動し、実際に「豊かな私」になると、そこで「豊かな私」を経験する。その「経験」に基づいて、「豊かな私」としてのさらに新たな「考へ」が生まれる。

そこで神は、最初の「考へ」を生み出すための「経験」をしなさいと提案する。それが「豊かな私であるやうに行動する自分を経験しなさい」といふことなのです。

「今はまだ億万長者ではないが、億万長者であるやうに行動し、億万長者である自分を経験しなさい。さうすれば、あなたの意識がそのやうに変はる」

しかし神のこの提案は、ちよつと微妙ですね。実際には大したお金もないのに、どうやつて億万長者のやうな生活ができるか。「振り」をするしかないのではないか。それは結局、自分を騙すことでしかないやうに思へる。

うまく説明できないのですが、神の提案はひとつの閃きを私に与へてくれます。

創造理想を完成しようとすれば、創造理想を完成した人のやうに行動しなさい
このやうに考へてみると、どうでせうか。

我々はもはや罪人として生きない。堕落論は忘れる。天の父が可能なことはすべて協助してくださる中で、理想を完成した人ならどのやうに考へ、どのやうに行動するか。そのやうな人の生き方の体験を日々作り出すのです。

そのやうな人は、どんなふうに人を愛するだらうか。どんなふうに万物を愛するだらうか。どんなふうに持ち物を人と分かち合ふだらうか。

そんなふうに生きることが、創造本然の「意識」を掴む最善の近道ではないだらうか。

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