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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

許す神は良い神か

2021/09/09
愛で生きる 0
浮気

ある夫婦問題カウンセラーがネット動画で、
浮気・不倫相手からパートナーを取り戻す方法
について教へてくれてゐます。

このテーマは、単に個別の夫婦の課題であるにとどまらず、敷衍すれば神と人類の課題でもあり得る。さう思ひながら聞いてみると興味深いので、紹介してみます。

「取り戻す方法」といふからには、パートナーを取り戻して元のやうな夫婦関係に戻りたいと願つてゐることが前提です。その前提の上で、カウンセラーは「ゴール」を定めようと提案する。

夫が浮気してゐるとします。その場合、妻はどんな「ゴール」を定めたらいゝのか。

まづ、夫についてのゴール。
私(妻)と一緒にゐたいと思はせる

そして妻自身のゴール。
夫の浮気が気にならない状態になる

夫のゴールは、まだ分かる気がする。夫を取り戻さうと思へば、浮気相手とゐるより妻とゐるほうが心地よいと思はせないと、それは難しい。

しかし「思はせる」といふのも簡単ではない。相手の気持ちですから、力づくで変へるわけにはいかないでせう。「自然と」さういふ気持ちにさせる必要があります。

どうしたら、それが可能でせうか。妻自身が「夫の浮気が気にならない」といふ状態になる。これが最善の方法だと考へられるのです。

夫に限らず、人が誰かと一緒にゐたいと思ふのは、どういふ状況のときでせうか。一言で言つて「裁きがなく、愛のある状態」です。

自分の言動をいちいちチェックされ、指摘され、批判されれば、誰だつてそんな人とは一緒にゐたくない。まして浮気中の夫であれば、どんなに浮気相手に夢中であつたとしても、妻に対する後ろめたさがないはずはない。そこへ予想通りの批判の矢が飛んでくれば、そんな空間には絶対とどまりたくないでせう。

しかし妻とすれば、
「悪いのは、絶対に夫」
と思つてゐる。批判せずにはおれないのがふつうでせう。

もちろん、心は傷ついてゐる。嫉妬の思ひもある。将来への不安もある。それでゐながら、「気にならない状態になる」ことがゴールになり得るだらうか。それは正当なゴール設定だらうか。

よく考へれば、正当なゴールだと思へます。

夫を取り戻す(一時的にではなく、恒常的に)には、夫が「妻と一緒にゐたい」と思はなくてはならない。そのためには「裁きのない空間」を作り出す必要がある。さらにそのためには、夫の浮気が「気にならない」といふ内的世界がなくてはならない。

これは非常にハードルの高いゴール設定ですね。オリンピックの金メダル級です。

それでもこのハードルを越えようとすれば、その手前のいくつかのハードルを越える必要があります。その中で最も重要なハードルが「浮気不倫=悪」といふハードルです。

浮気不倫は悪ではないでせうか。相手を傷つけるといふ意味では、間違ひなく悪だと思へる。ただ、この観念を捨てない限り、絶対に夫婦の関係を元に戻すことはできない。

なぜでせうか。

「浮気不倫=悪」である限り、悪なるものを許すことはできない。必ず、浮気をした相手(夫)を責めるか、あるいは妻が自分自身を責めるか。2つの内どちらかになります。責めれば必ず「裁きの空間」を作り、その結果「円満な夫婦」といふゴールは絶対に達成できない。

「浮気不倫=悪」といふ観念を捨てるといふなら、浮気不倫は悪ではないといふことでせうか。さうではない。悪でもないし、善でもない。

何だか、悟りのやうな境地ですね。しかしこゝに近づいて行かない限り、願ふゴールは見えてこないでせう。

「浮気をしたけど、もう二度としないと言つてゐるから、許す」
といふ場合もあり得ます。

しかし「許す」といふ態度の裏には「浮気=悪」といふ観念が消えずに残つてゐる。「悪いことをしたけど、許す」と考へてゐる限り、「悪いことをした」といふ事実と記憶は残り続けます。

このことは、神と我々人類の関係でも言へることだと思ふ。

神はアダムとエバ、歴代の人類がしてきたことを「許す」のか。それとも、「気にならない神様」になるのか。「許す」といふ言葉が残る限り、逆説的に、いつまでも許されない。

しかしどうもこれまでの宗教は、どちらかといふと神を「許す神」にしてきた嫌ひがあるやうに思ふ。「これこれをすれば、あなたの罪を許す」と言ひ、罪がちよつと大きすぎる場合は、煉獄に送る。かういふ神では、その方のところへ戻つて一緒にゐたいといふ気持ちになれるだらうか。

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人生は逆転する2
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