神の健忘プログラム
昨日「学習して忘れる」を書いたすぐ後、面白いことに、関連するテーマを扱つた記事に出会ひました。
「学習して進化するAIに”忘れさせる”ことは可能なのか」
といふ記事です。
英語では「学習」を「Learning」と言ひ、その反対語として「Unlearning」といふ言ひ方があるやうです。直訳すれば「反学習」でせうが、それまでに学んだことを「消去」するといふ意味合ひになります。
コンピューター用語で言へば、
「機械学習で積み上げた内容を除去するために、システムに記憶された知識を調整すること」
です。
人工知能(AI) のプログラムに選択的健忘をいかに起こさせるか。その方法を研究する。この取り組みはコンピューターサイエンスの最新分野になつており、「Machine Unlearning」と呼ばれる。これが簡単かと言へば、さうではない。かなりややこしいようです。
今や進化したAIは、複雑なアルゴリズムを駆使して莫大な数の顔認識をしたり、SNS投稿の優先順位づけなどをする能力において、人智をはるかに超えてゐます。ところがこれらの情報は、ユーザーにとつて個人情報に関はる微妙な問題を孕んでゐる。だから情報の中の該当する部分を消去してほしいといふ要請が生じるのです。
AIのアルゴリズムは元々人間が作つたものとは言へ、AIが作業を進めれば進めるほど、実際にどのやうにアルゴリズムを駆使してゐるのか、当の人間にもよく分からない。ブラックボックス的な状態になるのです。
そのブラックボックスの中身の一部を消去しようとしても、それによつて情報全体の構造を壊してしまひかねない。かと言つて、システム全体を最初から再構築しようとすれば大きなコストと時間がかかる。
人間はMachine Learningにも相当苦労してきたが、Machine Unlearningもまたそれとは違つた難しさがあるのです。
人間の記憶はAIのそれと同じシステムではないにせよ、似てゐるところもあるなと思ふ。
我々はこの世に生まれるや否や、時々刻々さまざまな体験をしながら、それを記憶として保存し続ける。すべてを常に覚えて意識するわけにはいかないから、記憶の大半は無意識といふ領域に保存される。
個人の体験記憶以外にも、集合意識と呼ばれるものがあるなら、そこには自分以外の膨大な記憶情報が貯蔵されてゐる。いづれにしても意識で容易にアクセスできる量ではないから、無意識、集合意識は私(意識)にとつて、まさにブラックボックスなのです。
その中に、日常生活に支障をきたす情報があるからそれを消去しようとしても、コンピューターサイエンティストと似たやうな困難にぶつかる。
サイエンティストたちはそれでも、いろいろと頭をひねつて工夫をしてゐるやうです。それである程度は、部分的に情報を消すことはできるらしい。人間の場合はどうでせう。
これは私の勝手な想像ですが、神には記憶消去の処理プログラムがあるのではないかと思つてゐるのです。さう思ふ、それなりの理由があります。
記憶消去の必要性は、我々人間だけでなく、神ご自身にもある。その必要性は神のほうが、むしろはるかに深刻です。
なぜなら、いつかは神の中から人間堕落の記憶が完全に消えなくてはならない。
「復帰はされたけど、でもやつぱり昔、堕落があつて心が痛かつたなあ」
といふ記憶が残つたままでは、神にとつては永遠に天国が来ないでせう。
だから最後には神ご自身、過去の記憶から完全に解放される必要がある。そのための神的プログラムがあると思ふ。そしてその同じプログラムで、我々の記憶も消去できるのではないかと推測するのです。
でもそのためには、我々の側から「データ削除」のリクエストを神に出す必要がある。それが我々の責任の一端ではないかと思ふ。

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