あなたは神ではないのですか?
あなたの身体は精神と魂のためにあり、あなたはわたしの精神と魂のためにある。したがって…。わたしはすべてを、あなたを通して経験する。 さて、これよりももっと大きな真実があるが、いずれあなたはそれを知るだろう。あなたはわたしの身体であるが、わたしもまた、ある者の身体だからだ。 (『神との対話』ニール・ドナルド・ウオルシュ) |
神とニールとの第一段階の対話も、いよいよ最終結論の佳境に入つて来ました。
最後の一言を聞いて、ニールは思はず、
「では、あなたは神ではないのですか?」
と問ひ返してゐます。
前半の
「私はすべてを、あなたを通して経験する」
といふ神の告白は、ある程度知つてゐるやうな気がする。
しかし最後の一言にはかなり戸惑ひます。
神と自称する存在を自分の体として使つてゐる、さらに奥の存在がある。さう示唆するのですから、頭が混乱してきます。
ここで改めて、
「神とは一体誰なのだらう? どんな存在なのだらう?」
といふ根本的な疑問にぶち当たる。
我々はこれまでにさまざまな宗教的な教へを学ぶことによつて、
「神とはかういふ方なのだらう」
と理解したつもりになつてゐるのではないか。
我々の神理解は、つねに塗り替へさせられる、あるいは破壊される可能性がある。それをせめて頭の片隅には置いておく必要がありさうに思はれてきます。
考へてみれば、我々の科学的認識もそのやうにして発展してきたのです。
17世紀に現れたニュートン力学によつて、我々はこの世の運動のすべてが理解できると感嘆し、信じてきました。ところが20世紀にアインシュタインが現れることによつて、時間と空間の概念が書き換へられることになつたのです。そして量子力学が登場するや、物質に対する我々の直観さへ疑はれるやうになつた。
ニュートン力学しかないときには、我々はその見方によつて世界を見る。しかし相対性理論が現れると、それまで見えてゐた世界の、もつと奥まで見えるやうになるのです。あるいは、見えてゐなかつたものが見えるやうになる。
科学的認識さへさうなら、宗教的認識はもつとさうでせう。ほとんど見えないものばかりを扱ふのだから、足元がおぼつかないことは科学以上です。
「神は二性性相」だとか「神の本質は心情」だとか言つたとしても、恐らく我々は神について、まだほとんど知らない。比喩的に言へば、まだ時空固定のニュートン力学の世界に住んでゐて、速度によつて時間が伸び縮みするといふ真理を知らないやうなものです。
『原理講論』もその総序で、
「こゝに記述されたものは、真理の一部に過ぎない」
と明記してゐます。
それなら、今我々が神と信じてゐる存在がさらにあるものの体であると聞いても、俄かにそれを否定することはできない。神が創造したと信じるこの世界の事象についてさへほとんど知らないのに、それを創造した神について十分よく知つてゐるとは、とても思へもしないし、言へもしない。
蛇足ながら、愚考を記してみます。
ニールが「対話」してゐる神。あるいは我々が日常、何となく「神の導きかな」と思ふやうな神。この神は、文鮮明先生の言はれた「昼の神様」に近いやうな気がする。
「昼の神様」は我々の気持ちを理解し、悩みを聞いてくれ、アドバイスを与へてくれたりもする。我々の有限な時間圏内、日常生活に関はつてこられる神であり、復帰摂理を担当される神でもあります。
その「昼の神様」の奥に「夜の神様」がおられる。この神は我々と日常的な言葉で会話される方ではなく、有限な感覚で知覚し得るいかなるものもない。
あまりにも無限永遠で、純粋な霊。無言の神。正体不明の神。『神との対話』ではそれを「最初の考へ」と表現してゐます。「最初の意識」と言つていゝかも知れない。
我々がいくらかでも知り得るのは、「昼の神様」です。今はまだ、我々の神は「昼の神様」で十分かも知れない。

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