絶えず祈りなさい
前の記事「喜んで受け容れる」の続きです。
「問題」はそれが現れることによつて、「問題」が私に潜在してゐることに気づかせ、それを解決(蕩減=帳消し)するチャンスを与へる。それゆゑに、「問題」は有り難い。
頭(理論)ではさう考へるのですが、実際に心からさう思ふことは難しい。ほとんど本能に逆らふやうなものです。そのことは私も実感してゐます。
そこで私は、かう考へるやうにするのです。
「最初から『感謝』がなくてもいゝ。入り口は『受け容れる』ことだ」
何を受け容れるか。
まづ、問題自体を受け容れる。
次に、
「問題の原因は自分の外にない。自分の中にある」
といふことを受け容れる。
そして、
「問題が起つたのは私が悪いからではない。私にその問題を解決させるためだ」
といふことを受け容れる。
そのやうに受け容れてから、考へます。
「どうしたら、この問題を解決できるだらうか」
そのとき、外的な手法をあれこれ詮索する前に、自分の中に目を向けます。いづれ外的な取り組みは必要になるでせうが、まづは自分の中で問題に取り組むのです。
取り組むとき、私がとても有効だと考へるのが、「問題の原因を消去する」といふ方法です。これはホ・オポノポノにヒントを得た方法ですが、他の宗教的教へにも同様の手法があります。
例へば、聖書にある
「絶えず祈りなさい」
といふ方法です。
その前後を引用してみませう。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。… どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめてくださるように。 (「テサロニケ第一の手紙5:16-23) |
絶えず、何を祈りなさいと言ふのでせうか。23節にあるやうに「神ご自身が私を全く清めてくださるやうに」。これではないでせうか。
私の中に「問題」の原因がある。それを抱へてゐる限り、それが私に「問題」をもたらし、私の行動を歪め、私の周辺に影響を与へる。だから、「私が全く清くなる」ことがとても重要です。「清くなる」とは、私の中の「問題」の原因を消去することです。そのために、絶えず祈る。
祈る言葉は、従つて、
「有り難うございます」
の一言でもいゝと思ふ。
「感謝」の心はまだ十分になくとも、「感謝」の言葉を神に伝へる。それを絶えず、「問題」が起こる度に「問題を有り難う」と伝へるのです。

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