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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

カッコウは騙すのか

2021/08/14
思索三昧 0
騙す

鳥の中には「托卵(たくらん)」といふ行動をする鳥がゐます。

例へば、郭公(カッコウ)。百舌鳥(モズ)とか鶯(ウグイス)など自分よりも柄の小さな鳥の巣に、こつそりと自分の卵を産みつける。10日余りで孵化すると、同じ巣の中にゐるモズならモズの卵やひなを巣から放り出す。

ところが、おかしなことにモズの親はそのことに気がつかない。段々と自分より大きくなつたカッコウのひなに、せつせと餌を運び続ける。

カッコウは狡猾だ。モズを騙して、自分は楽をしてゐる。人間の目にはさう見えます。しかし、カッコウは本当に「騙し」てゐるのか。

猿はもつと高度なテクニックを使ひます。

サバンナモンキーは簡単な言葉を使ふ。例へば、「ライオンが来たぞ!」と叫ぶと、それを聞いた仲間たちは一斉に木に登つて難を逃れる。

あるとき、ライオンが来てもゐないのに「ライオンが来たぞ」と叫ぶモンキーがゐた。すると、バナナを食べようとしてゐた仲間はバナナを置いて慌てて木に登つた。それで置き去りにされたバナナを、叫んだモンキーが取つて食べたのです。

この行動を見ると、人間はやはり、サバンナモンキーは仲間を「騙す」と考へるでせう。しかし、サバンナモンキーは本当に「騙し」てゐるのか。

私が誰かを騙すためには、私の中に「騙す」といふ概念がなければなりません。

その概念の中身は、
「本当はさうではないのに、さうであると『嘘』をつく。すると、その『嘘』を『本当』だと相手は勘違ひして、その勘違ひに沿つた行動を取るだらう」
といふものです。

嘘をつくときには、一定以上のレベルの嘘なら相手はそれを本当だと信じるだらうと、相手の心を理解する能力が必要です。さらには、万が一その嘘がばれたときのことも想定しておかなければならない。報復を受けるかもしれないし、後で嘘と分かれば「恨み」を買ふ可能性だつてある。

カッコウやサバンナモンキーに、さういふ概念や能力があるだらうか。私にはさうは思へない。「騙す」といふ概念もないし、「騙される」といふ概念もないと思ふ。

モズが育てた卵から孵つたひなを見て、もしそれが我が子ではないと気づいたとしても、「騙された」とも思はないだらうし、騙したカッコウに報復をしようとも考へないでせう。多分、騙すほうも騙されるほうも、目の前の「事実」しか受け取つてゐない。

カッコウは、このやうにすれば自分の子どもを孵化させられる。サバンナモンキーは、このやうに叫べばバナナが手に入る。さういふ事実だけを経験的(あるいは本能的)に知つてゐるのです。一方の騙されるほうも、たださういふ出来事があつたといふ事実を事実としてのみ受け止めてゐるでせう。

さういふやり取りを「騙す」「騙される」と見做すのは、偏に我々人間に「騙す」「騙される」といふ概念があるからです。そんな概念を持つのは恐らく人間だけに違ひない。

人間だけが持つ、この特異な概念。これは言ひ換へれば、「物語を作る能力」です。

自分に相手を騙す考へがあるから、相手も自分を騙すのではないかと恐れる。もし騙されたら、仕返しをしてやる。恨みも残る。かういふのが、人間独特の「物語」です。

人間にはこの特殊能力があるので、この世界を「物語」で見る。それでライオンがヌウを襲ふのを見れば「弱肉強食」と考へ、騙す(やうに見える)カッコウやサバンナモンキーを「ずる賢い」とも感じるのです。

「物語を作る能力」は、他の万物にはない高等な能力には違ひない。しかしその能力のゆゑに、我々は往々にして苦しむ。事実を事実として、あるがままに受け容れることがとても難しいのです。

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