科学的な「私の思想」
科学論文というものは90%の研究結果と10%の推論から構成されると考えてよい。問題はその推論部分にある。推論は研究結果から導いたものでなければ科学論文とは言えない。誰かが推論したことに対して、さらに自分なりに考えを発展させて推論を述べることを「飛躍」といい、それは理論として認められず、「思想」と呼ばれる。 (「量子医学」なかよし医院 院長 藤田徳人) |
科学の基本は実験です。実験をし、その結果を基に推論を立てます。
実験をする前に
「かうなるだらう」
と思つてゐても、実験結果が違つたら、その結果に従つて推論しなければなりません。
その推論が実験結果を矛盾なく合理的に説明してゐると見做されれば、一旦は妥当な科学理論として認められるでせう。しかし、さういふ科学の専門的な訓練を受けてゐない多くの人は、実験をしないまま推論だけをしてしまひやすい。
さういふ推論の述べ方を「飛躍」と言ひ、その推論は「科学」ではなく「思想」と呼ばれます。現実には、さういふ「思想」がこの世に溢れてゐて、お互ひに対立し合つてゐる。
「私の思想が正しく、あなたの思想は間違つてゐる。だからあなたの思想を訂正しなさい」
と言ひ合つてゐるのです。
科学の強みは、実験結果に基づいてゐるといふ点です。
「私の推論は実験結果に基づいてゐます。もし私の推論を疑ふのなら、あなたも同じ実験をしてみなさい。同じ結果が出るはずです」
科学はかう言へるので、現代において巨大な力を有するやうになつた。
さうであるなら、「私の思想」も科学と同じ力を持つ方法があります。それは「実験結果」に基づいて推論することです。
その「実験結果」とは何か。私の人生といふ実験結果です。
「今の私」が「私の人生」といふ「実験の結果」です。それなら、この「結果」に基づいてどのやうに「推論」すればいゝでせうか。
「私の考へ方」や「私の行動様式」が「私の人生」を織りなし、「今の私」を形成した。
だから、
「このやうに考へ、このやうに行動すれば、このやうな人間になる」
といふ推論が成り立ちます。
そして、「今の私」が誇り得るものであると思ふなら、
「このやうに考へ、このやうに行動するのが良い生き方だ」
といふ「思想」を主張することができます。
さうすると、さまざまな「思想」の内、どれがより「良ささうか」といふことは、その「思想」を主張してゐる「今のその人」を見ることで判断できる。「思想」はその内容によつて評価するのではなく、その「思想」を語る「その人」によつて評価する。それが「科学的」だと言へるでせう。

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