知らす統治
日本人の中には本当に根強い「人間保守主義」といふものがあつて、これには誰も逆らへない。皇室と言へども、その上にあるのではないといふことをつくづく感じた。 |
脳科学者の茂木健一郎さんのこの言葉。鋭い感性による洞察だなと思ふので、考へてみます。
茂木さんがかういふ感想を言ふいきさつは、秋篠宮家における眞子内親王の結婚問題にある。
この問題については、婚約候補者の男性について「資質がどうか」といふ議論が百出してゐます。保守とリベラルが対立してのイデオロギー的な議論もあります。
しかし、騒がしいイデオロギー議論とは別の次元に、必ずしも明確な言葉としては表出されない、日本独特の「人間保守主義」とも呼ぶべきものがある。
それを敢へて言葉で表せば、
「あの人は、皇室のあり方に相応しくない。あゝいふ人では、我々は皇室を敬愛できないよね」
といふ、庶民の生活感覚のやうなもの。その意味では「生活保守主義」と呼んでもいゝ。
もちろんすべての日本人に同じ感覚があるとは言へないにせよ、全体的に深く潜んでゐることは否定できないやうに感じられる。この感覚を無視しては、皇室と言へども存立し得ない。
これが茂木さんの洞察です。そして私も、ここに日本の皇室の特異性があり、またある種の危うさもあるといふ気がするのです。
日本の皇室の特異性とは何か。
仁徳天皇の有名な御製
「高き屋に のぼりて見れば けむり立つ 民のかまどは にぎはひにけり」
といふ歌があります。
天皇が即位して数年、大規模な灌漑事業などを完工して国の基礎が整つてきたと思つてゐた。ところが、ある日高殿から人々の暮らしを眺め渡すと、家々の屋根から煙が立つてゐない。
「あゝ、これは労役や庸調が民を苦しめたか」
と案じられ、向かう6年に亘り、それらから民を解放した。
すると3年後には屋根から煙が立ち始め、6年を過ぎると民が進んで皇居の修繕に名乗りを出し始めたといふ。
有名な「民のかまど」の逸話です。
「天は民のために君主を立てる。民あつての君主である」
と仁徳天皇は言はれた。
記紀の思想によれば、天皇は「知らす」といふ手法で民を治める。「知らす」とは、「知る」の尊敬語です。独裁的権力でもなく、武力でもない。「民を知る」ことによつて民を治めるといふのです。
仁徳天皇は民の家から煙が立たないのを見て、彼らの生活が困窮してゐるのを知る。知ることによつて対策を立てる。知るの前には「関心」があり、知ると対策の間には「祈り」がある。これが「知らす」の中身です。
かういふ天皇のあり方は、近代の歴代天皇のお姿にも見受けられます。各地で震災があるたびに足しげく被災地に通はれ、被災者を見舞はれる。常日頃から被災の情報に耳を傾け、細かいことまで実によく知つておられる。
このやうに「知らす」統治方法を取りつゝ、自らの居所は後回しにする。仁徳天皇のときも、6年間皇居の修繕を一切認めなかつたので、雨漏りがして衣服が濡れるほどだつた。今でも皇室の生活が飛び切り贅沢には見えないし、天皇家としての私的財産はない。
「知らす」などといふ権力のないあやふやな統治。巨額な蓄財もない。このやうな皇室が、日本ではなぜ2000年近くも途切れることなく続いてきたのか。
茂木さんの知見に戻つて考へると、民の心の奥底にしかと流れる「人間保守主義」こそが皇室の「権威」を支へてきた結果だと思へます。
この主義は名前こそ主義だが、イデオロギーではない。庶民の心に流れる感覚です。
例へば、真心。あるいは、裏表がない。あるいは、清らかな心。さういふものを何よりも尊ぶ感覚です。
皇室を支へてきたのが、庶民のかういふ感性。だから皇室が一旦この感性を裏切るやうになれば、皇室は庶民の支持を失ふ。支持を失へば、「権力」のない「権威」など存立し得ない。「権威」は庶民の上にあるやうに見えて、実は庶民の下にあるのです。
「権力のない権威」だけの皇室を民の下に置くといふ国家のシステム。改めて考へると、これは大変素晴らしい知恵だなと思ふ。そしてそのシステムを日本人独特の「人間保守主義」が支へてきた。これもまた失ひたくない民族の宝だと思ふ。
そしてこの「知らす統治」。国家レベルだけに生かされるものではなく、多分あらゆるレベルで考慮されるべき賢明な知恵でせう。
例へば、夫が妻を愛するとは「知らす統治」。統治しようと思へば、夫は妻の下に降りなければなりません。さうしないと支へてもらへない。これは妻の側も同じだし、親子でも同じです。
天国の基本思想は「知らす統治」に違ひないと思はれます。

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