おばあちやんの人生の結末
このところ、おばあちやんの日常はまあまあ平穏に流れてゐる。
認知症はもはや行くところまで行つて、これ以上悪くはならないやうに見える。昨日今日のことはほぼ覚えてゐないが、過去の断片的な記憶は繰り返し蘇つてくる。会話が成立するのは、そのあたりの思ひ出を喋るときです。
いろいろ喋る中で、繰り返す言ひ回しがある。
「周りがみんな優しいから、てつこは本当に幸せだ。役に立たない90のおばあちやんを誰も大切にしてくれるから、うれしい」
毎日世話をしてくれる息子へのリップサービスではあり得まい。認知症の人が繰り返すこの言葉に、嘘はないと思ふ。
さうだとすると、本心から言つてゐる。「幸せだ」といふときは本当に幸せであり、「うれしい」といふときは本当にうれしい。
これがおばあちやんの人生の結末だと思ふ。
羨ましい人生だつたなと思ふと同時に、
「私は果たして、認知症になる前に、かういふ言葉を心から言へる人間になれるだらうか?」
と考へる。
考へると、自信がない。少なくとも、現時点で
「周りの人はみんな優しくて幸せだ。みんな良い人で、うれしい」
と心からは言へない。
認知症になつて言葉を飾ることができなくなるまで、あとどれくらゐの猶予があるか。5年か10年か15年か。それは分からない。
どんなことに自信がないのだらう。
周りの人が優しい人ばかりかどうか、といふ問題ではない。「私の周りには優しい人ばかりだ」と、私自身が思へない。それが5年後には思へるやうにだるだらうか。その自信がない。それが問題なのです。
認知症のおばあちやんは私の目標であり、人生の教師でもあります。

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