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相撲は腰で取る

kitasendo
相撲

今、名古屋場所の最中だが、ここ数年あまり相撲を見なくなつた。何だかあまり魅力を感じない。どうしてだらう。

子どもの頃と言へば、何と言つても大鵬が無双の英雄だつた。毎日学校から帰ると、場所の15日間はテレビにくぎ付けだつた。

大鵬の時代が過ぎると、続いてきたのが千代の富士時代。その後さらに、若貴時代。一番一番が見逃せなかつた。

あんなに面白かつた大相撲になぜ魅力を感じなくなつたのか。いろいろな不祥事も続いたし、最近は横綱の休場も多い。

さういふこともあるだらうと思つてゐると、昔と今とでは相撲の取り方がずいぶん変はつてきてゐるとの話もある。『意識のかたち』(高岡英夫)は「身体意識」といふ切り口から、相撲についても鋭い分析を行つてゐる。

運動科学研究所所長の高岡さんは、かういふ架空の取り組みを設定してみる。

初代若乃花と千代の富士が対戦したとすれば、どちらに分があるか



初代若乃花が横綱に昇進したのは昭和33年。歴代最軽量横綱ながら「土俵の鬼」と呼ばれた名横綱だつたが、横綱在位はわづか4年ほどで引退してゐる。残念ながら、その時代を私は知らない。

一方の千代の富士は、私とほぼ同世代。小兵ながら筋肉隆々の体躯で重量力士を投げ飛ばす集中力とスピード感あふれる取り組みは、いつ見ても爽快だつた。

この2人の世代差はおよそ30年。実際にはあり得なかつたが、対戦したなら果たしてどちらに分があるか。



「技」といふ面では若乃花に分があるかも知れない。しかし体力(筋力)、スピードの面では、千代の富士によほどの分があるのではないか。体重においても20キロほど千代の富士が上回つてゐる。

ところが高岡さんは
「千代の富士は筋力、スピードを若乃花の前では思ふやうに発揮できずに若乃花に敗れ去る」
と見立てるのです。

千代の富士はなぜその強みを発揮できないと見るのか。

確かに千代の富士の筋力とスピードは群を抜いてゐる。しかしそれらの強みも、力の方向やタイミングをわづかにずらされると、力を出す機会を失ひ、不発に終はつてしまふ。

この「わづかにずらす」技能のことを「技」と呼ぶのです。

立ち合ひ鋭く千代の富士が踏み込み、若乃花を素早く取つ摑まへようとする。ところが両者が接触し組み合ふわづかな瞬間に、極めてわづかな足の移動と体幹の変化、そして腕の使ひ方によつて、若乃花は千代の富士を不利な体勢に組み止めてしまふ。さういふ「技」を若乃花は持つてゐると、高岡さんは言ふのです。

今昔の相撲を比較して、
現代の相撲はすべてに単純で大味なのですよ
と高岡さんは言ふ。

私の目には、昔も今も変はらぬ「相撲」としか見えないが、プロが注意深く見ると、技術のレベルがまつたく異なる。その差は、大学生と小学生の学力の違ひくらゐの技術レベルの差。

どうしてわづか30年で、それほどにレベルが落ちてしまつたのか。

昔は
相撲は腰で取る
といふことが力士全体によく認識されてゐた。ところがそれが段々と薄れていつて、「筋力=強さ」といふ認識に変化した。

それで力士は体重を増やす。小兵力士は敏捷に動かうとする。力とスピードで勝負する。

私が段々相撲に魅力を感じなくなつたのが、そんな変化を感じ取つたからだとはとても言へない。しかし、さういふ目で改めて今昔の取り組みを見比べてみると、確かに「何か」が違ふのを感じるのです。

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異世界無双
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