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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

「花鳥風月」には嘘がない

2021/06/27
愛読作家たち 0
養老孟司
花鳥風月

養老孟司先生がある講演会の中で、虐めの体験を書いた本を紹介して、
「読んでみると、この中に書いてないことが一つあるのに気がついた」
と言つてゐます。

大体、「在ること」に気づくのは容易でも、「無いこと」に気づくのは難しいものです。先生が「無い」と気づいたのは何か。

花鳥風月

体験談の中に、これが一つも出てこないといふのです。どういふことか。

辛かつた、不幸だつたといふ体験のほぼすべてが、人間関係に絡んでゐる。「あの人にこんなことを言はれた」「あんなことをされた」といふことが体験の100%に近いのです。

不幸にしろ幸福にしろ、私たちの日常生活の多くは、確かに人間関係と深く関連してゐるでせう。人間関係が良ければ嬉しいことが多いし、人間関係が悪ければきついことが多い。さういふ人間関係と無縁で生きていくことは不可能です。

しかし、養老先生は
「人にだけ頼ると、あぶねーよ」
と言ふ。

バランスを取ることが重要ではないかと言ふのです。「人間関係」と「花鳥風月」のバランスです。なぜそれが重要でせうか。

この2つの違ひは何か。一言で言へば、「人間関係」には思惑があるが、「花鳥風月」にはそれがない。

「人間関係」では、「好き」と言つても、自分の利益のために言ふのかも知れない。言葉と本音が違つてゐるかも知れない。しかし「花鳥風月」にはさういふ心配がないのです。

「花鳥風月」が
「あなたを好きです」
と言つてくれれば、それを疑ふ余地も必要もない。

「花鳥風月」には思惑がない。言ひ換へれば、「嘘」がないといふことです。

ずいぶん昔のことですが、ある日出かけようとしたときに、庭に咲くバラが突然話しかけてきたことがあります。

「わたし、きれいでしよ」
と言ふのです。びつくりしました。

さう言へば、ふだん意識して見てやることがなかつたなと思ひ、しばらくぢつと眺めて、いよいよ出かけようとすると、今度は
「行つてらつしやい」
と見送つてくれる。

家族に言つてもらふのも嬉しいけれど、バラが言つてくれると違ふ感慨があります。「花鳥風月」の良さだなと思ふ。

思惑のない世界に抱かれる。さういふ時間と体験が生活の中に何割か織り込まれる。やはり養老先生の言ふやうなバランスがあるのがいゝなと思ふ。

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なるほど、養老孟司2
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