殴り、殴られる人生
ここ数日、井上尚弥の試合映像を観続けてゐる。井上については、最近初めて知つた。
井上は今年28歳のプロボクサー。とにかく強い。そしてそのボクシングは美しい。アマチュアからプロに転向し、6戦目で世界王座戦に挑戦し、見事に王座を獲得した。
圧倒的な実力と完璧とも言へるボクシングスタイルから「日本ボクシング史上の最高傑作」とも呼ばれる。「モンスター」との異名も持つが、それは彼のパワーをこそ表現してゐるものの、その風貌にはまつたく似つかはしくない。
井上の風貌は、他を威圧するやうなところがない。亀田選手のやうに相手を挑発するやうなパフォーマンスもない。むしろとてもストイックであり、寡黙で、真つ直ぐな姿がある。
ところが、リングに上がりゴングが鳴るや否や、彼はボクシングの化身となつて、相手を圧倒し始める。 ジャブには通常の2倍のパワーがある。往年のモハメドアリのやうに「蝶のごとく舞ひ、蜂のごとく刺す」。繰り出すパンチはパワフルであると同時に、芸術のやうに美しい。
これまでのところ、21戦して負けなし。21勝の内、18がKO勝ち。多分一度もダウンがないと思ふ。
彼が奪つたダウンシーンだけを集めたダイジェスト映像を観てゐると、そこには私にとつての異世界がある。相手は顎を打たれ、脇腹を打たれて、次々に倒れる。そのシーンが続くと、私は何だか怖くなる。
彼はなぜあれほど相手を打ち続けるのだらう。彼は相手を打つことしか考へてゐない。闘ふ本能によつてどちらかが死ぬまで闘ひ続ける闘鶏のやうにも見えてくる。
四角い小さなリングを囲んで、大勢の人が拳を振り上げながら自分の贔屓を応援する。客席にはきれいに着飾つた妙齢の女性も見える。
世界王座を賭けた試合ともなれば、億、もしかして数十億のマネーが動くに違ひない。興行師、ボクサー双方の関係者やファンなど多くの人たちのさまざまな思惑が交錯するだらう。 さういふ衆目が集中するその中心で、ボクサーは殴り、殴られる。
「ボクシングとは何ですか」
と尋ねられて、ある元世界チャンピオンは
「麻薬だね」
と答へてゐる。
練習はつらい。減量はきつい。強い相手との試合が決まると、逃げたくなる。
「俺、何のためにこんな苦しい道に自分を追ひやつてるのか」
と思つたりする。
しかしその果てに相手をKOで沈めて勝つと、これ以上の快感がない。だからまた懲りもせず、きつい練習に戻つて次の試合に備へ始める。
殴り、殴られる人生。
一見、哀れなやうにも見えて、しかしその実、手応えへのある緊迫した人生を生きてゐるやうにも見える。
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