ガン細胞に話しかける
昨日の記事の最後に、
「意識、愛、意思、感情という4つの代表的な精神作用を正すことが、病気の治癒にとって重要な処方箋の一つではないか」
と書きました。
これは頭では分かっても、いざ自分の妻が本当にガンになってみると、理屈通りにはいかないものです。
ガンと分かって2ヶ月後には手術を行い、妻は右の乳房を全摘しました。
女性にとって、自分の乳房を失うということがどれほど大変なことだったでしょうか。
手術後の入院を終えて、久しぶりに我が家に帰ってきた妻を迎えて、私たちは家族4人でお風呂に入ったことがあります。
その時、まだ保育園だった2人の子どもたちは、母親の胸の傷を見ながら、言葉を失い、呆気にとられていたのを、今でもよく覚えています。
しかしそれからしばらくは、比較的平穏な日々が続きました。
そして、10ヶ月後に、再発を告げられた時の驚き。
最初のガン宣告よりも、ある意味で大きなショックでした。
その10ヶ月間にも、私たちなりに様々なガンの本を読み、代替療法についても勉強し、あるものは試しても見ました。
しかし、まだまだガンの前には自分たちが甘かったのだということを思い知らされたのです。
私は次第に、妻がガンになったのは、新しいもう一つの宗教に出会ったようなものではないかと思うようになりました。
夫婦ともに統一教会の信仰を持ってきながらも、まだ気づいていないこと、あるいはもっと変わらなければならないことがあるのではないか。
厳しい試練ではあるが、それに気がつかせるために、ガンが私たちのところへやって来たのではないか。
足立育朗の『波動の法則』の中に、ガン細胞を形成している原子核は、普通の原子核よりずっとレベルが高いという情報がありました。
つまり、病気というのは、よりレベルの低い原子核を持っている我々のところにやってきて、大切な人生の奥義を教えてくれるものである、というのです。
ですから、病気というのは決して一方的に忌むものではないのです。
ある夜のことです。
夜中にふと目が覚めた私は、隣で寝息を立てている妻の右胸に手を置きました。
そこにはすでに乳房がありません。
手を静かに乗せながら、私の口から自然と次のような言葉が出てきたのです。
「ガン細胞は私たちに大切な何かを教えるために来てくれたのを知っています。妻はすでに大切な乳房を1つ失うという大きな代価を払いましたが、それでもまだ私たちは大切な何かを悟りきっていないのです。
それは一体何でしょうか? 私たちがそれを悟ったときには、ガン細胞はその使命を終えるので、私たちのもとを離れていかれるでしょう。
あなたたちの願いを1日も早く悟れますように。ガン細胞さん、本当にありがとう・・・」
妻は私が妻の胸に手を乗せていることも、ガン細胞に話しかけていることも知らずに、静かに眠っています。
私の呼びかけは、ガン細胞に届いていたのでしょうか?
それは私にも分かりませんが、私の気持ちの中にガン細胞への一種の親しみと、私は決して間違った方向へ行っているのではないという思いが湧いてきたことは確かでした。
この続きは、また明日。
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