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静寂は神の言葉

kitasendo
夜空

「静寂は神の言葉で、他はすべてその下手な翻訳に過ぎない」という言葉がある。静寂とは、実は空間を表すもう一つの言葉だ。
(『ニュー・アース』エックハルト・トール)

良く晴れた日。見上げると、雲がいくつか浮かんで流れてゐる。その雲を存在せしめてゐるのは何だらうか。

ふつうには「空(そら)」と呼んでゐます。「空」とは何だらう。どれほどの広がりがあり、どれほどの奥行きがあるのだらう。

天気が良いまま日が暮れれば、今度は雲の代はりに星が煌めき始める。夜空は「宇宙空間」と呼ぶのが相応しい感じになります。

雲や星は、なんとなく分かる気がする。しかしそれを存在せしめてゐる「空間」とは一体何か。

形あるものが何もない広がり

そんなふうに言へば、形のないものを我々は認識できるのか、といふ疑問が湧きます。頭上にはいつも広大な空間が広がつてゐるとなんとなく思つてゐますが、実はそれが一体何なのか、よく分かってゐないのではないか。

静寂とは、空間の別表現だとトールは言つてゐます。空間がよく分からないやうに、静寂も考へてみると、よく分からない。

静寂とはいかなる音もない状態でせう。そんな状態を我々は想像できるでせうか。

夜中に灯りを消し、独りで横になつてゐると、静寂に近いかも知れない。しかしよく耳を澄ますと、自分の息をするかすかな音が聞こえる。

空間とは「形あるものが何もない広がり」であり、静寂とは「音が何もない広がり」です。

ところが、いかなる音もないその静寂こそが「神の言葉」だと言ふ。そして、あらゆる音はその神の言葉の不十分な翻訳だと言ふ。それはつまり、我々が「神の言葉」を翻訳なしに聞かうとするなら、一切の音を遮断しなければならないと言ふことです。

これは極めて難しい。無音の世界などほとんどないでせう。

外部世界の音以上に、最もうるさい音が我々自身の中から始終出てゐます。「思考」といふ音です。「思考」は空に浮かぶ雲、あるいは夜空に煌めく星と同様、「形」です。静寂とは、思考といふ形のない広がりです。

試しに、「思考」を意識的に止めてみませう。止めようとすると「止めよう」といふ思考が生まれる。「思考」は自分のものであるやうでありながら、それを操作するのは極めて難しいことが分かります。

「静寂は神の言葉」といふ意味は、自分の思考を止めなければ神の言葉は聞き取れないといふことです。賢人の言葉も名著の知識も、所詮「神の言葉の下手な翻訳にすぎない」。

しかし静寂を手に入れることは、空から雲を取り除き、夜空から星を取り除くことと同じくらゐ、あるいはそれ以上に難しい。

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