「禁」よりも「断」
酒豪で鳴らした創業社長が、40歳を境に酒を一滴も飲まなくなつた。飲まなくなると、1日が2日に伸びたと語つてゐます。
社長は「禁酒」と「断酒」を意識的に区別する。「禁酒」は他の誰かから言はれて止めたといふニュアンスがあるのに対して、「断酒」は断固たる自分の意志が感じられる。だから社長は「断酒」なのです。「やめる」と決めて以来、一滴も飲んでゐないといふ。
「断酒」を決意したには、切つかけがある。周囲の会社を見廻してみると、トップが酒を飲まない会社のほうが、決定的に成功率が高い。酒を飲んでゐたら、絶対に敵はない。さう思つたのです。
実際「断酒」してみると、1日が2日に伸びた感じがする。30代までの若い頃なら、夕方に相当飲んでも、その後まだ働けた。しかし40歳に近くなると、さういふ体力がなくなつてくる。酒を飲むと、その後はもうとても働けない。
ところが酒をやめてみると、体が軽い。働かうと思へば夜中まででも働ける。だから1日が2日に伸びたやうに感じたのです。
「でも、社長の付き合いがあるでせう? 飲み会とか会合などで飲まないと、敬遠されませんか?」
とインタビュアーに訊かれて、かう答へる。
「それが一番怖かつた。お酒を飲まないと商談が取れないのではないか。さう思つてゐたんですが、それはまつたくの幻でした。商談とお酒は何の関係もなかつた」
「乾杯くらゐは、と言はれませんか?」
「私は飲みません。一滴も飲まないことにしてゐます。飲まないでも酔ゑるんです。さう答へると、なんの問題もない」
これはどうも言葉の綾ではない。飲まなくても、本当に酔つたやうな気分になる。お酒を飲まないほうが、むしろその場を楽しめるといふ。
社長は元酒豪だから、酒を飲む楽しさも知つてゐるし、飲まない快感も分かる。2つをプラスマイナスで考へたら、飲まないプラスのほうが大きい。最初は微差だつたが、時間とともにこの差がどんどん開いてくる。
この社長、この先少なくとも社長であり続ける限りは、恐らく一滴も飲まない「断酒生活」を続けさうに思へる。

私は若い頃教会に入つて、最初に3つの禁止事項を教へられた。
① お酒
② タバコ
③ 男女関係
③は、教へを学べば、自ずと分かる。しかし①と②は、明確な理由が分からなかつた。
教主の方が若い頃、この2つの誓ひを神の前に立てたとも聞いたし、何となく良くないことだとは思へる。だから、この2つともに一切しなかつた。別の飲みたいとも吸ひたいとも思つたことはほとんどない。
地域の集まりなどで、ときどき酒が振る舞はれることがあつた。最初は「○○君、どうだ一杯」と勧められるが、「飲まないんです。体に合はない」と言つて、辞退した。すると、2回目からは絶対に勧められない。しかし素面で酒飲みの場を楽しめるといふ感覚は、私にはちょつと分からない。
だいぶ後になつて、
「酒、タバコをすると、悪霊が好んで寄つてくる」
といふやうな話を聞いたことがある。
目に見えないから真偽のほどは何とも言へないが、敬して遠ざけるに越したことはないといふ気がした。
「断酒」をして感じたこととして、先の社長がもう一つ、
「体の匂ひが良くなりましたね」
と言つてゐる。
酒気が抜けていくとでも言ふのだらうか。私に体験はないが、さういふことはありさうな気がする。
「今の私の体のどこにも、酒気は微塵もない」
といふのは、意外と大きな快感かも知れない。
私自身、飲みたいと思つたことはなかつたけれども、「断酒」ではなく「禁酒」の嫌ひもなくはなかつたなと思ふ。何事も、「禁」ではなく「断」がいゝのは間違ひない。

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