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「外にあるもの」などない

kitasendo
外にあるもの

「それらの本は外に出ていません」彼はそう言った。またしても私を惑わせる謎めいた名言。「まだあなたの内にあります」
つまり「外にあるもの」などあり得ない。
(『ゼロ・リミッツ』ジョー・ビターリ)


本当にすべてのものは私の内にあるのか。さうだとしたら、それはどういふことか。私がそれを真剣に考へる切つ掛けにもなつた印象的な一節です。

ビターリ氏はベストセラーを何冊も出した才能ある作家。しかし昔書いた本について、今になつてみると不満な点もある。これから書く本ならさういふ点を考慮して出版することができる。すでに世に出した本はどうしたらいいのか。

さういふビターリ氏の気がかりに対して、ホ・オポノポノ研究会のヒューレン博士が上のやうに答へたのです。

「すでに出版した本も、まだ外には出てゐない。あなたの内にあります」
これは一体、どういふことか。ビターリ氏が感じたやうに、私にも謎めいてゐます。

謎めいてゐるけど、どうしても考へさせられてしまふのです。少し敷衍して考へると、すでに出版した本に限らない。ふつうには、私の過去はすべて私の外に出てしまつたもので、今更後悔しても変へやうがない。

しかし、それらはまだ私の外に出てゐない、私の内に留まってゐる。さう見做せるとすれば、今からでも私の過去を変更できるかも知れない。

本当にそんなことが可能でせうか。ここから、ヒューレン博士の謎めいた言説を少し離れて考へます。

私において、内側の世界と外側の世界がある。内と外にいくつかの組み合わせがあります。

意識と現実。
霊人体と肉体。
霊界(あの世)と肉界(この世)。…

我々人間はこれら2つの世界に跨つて生きてゐると思はれる。しかし大体は外側の世界だけで生きてゐるやうに考へてゐます。

つまり、目に見えるのは「現実の世界」。感知できるのは「肉体としての自分」。認知できるのは「有限なる肉界」。

このやうに片側だけを見て生きれば、それに沿つた「世界観」が人生を支配するやうになる。

「我々は広大なこの宇宙に生まれ出た極小の存在であり、外界からの影響を受けて生きる。外界が圧倒的な力を持つており、外界が原因となつて結果としての私がゐる」

しかし、本当にさうだらうか。そんなことはあるまい。内なる世界は我々が思ふほど小さくも微力でもないのではないか。私はさう思ふ。

さういふことは、もちろん私が思ふだけではない。昔から多くの宗教が教へてきたことです。しかし問題は、それをいかに外的世界が納得するやうに明確化するか、といふことなのです。そこがなかなか難しい。

今の私が抱いてゐる問題意識を、一つづつ提示してみようと思ひます。

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なるほど、養老孟司2

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