これが人に恨みを持たない方法だな
これまで1年以上、おばあちゃんの隣の部屋で寝てきた。夜中でもトイレに行きたがつて呼ぶことがある。さういふときには私も起きてすぐに対応しなければならない。
しかし1週間ほど前から隣の部屋を引き払ひ、少し離れた洋間に寝室を移した。この部屋はドアを閉めると、別の部屋の物音がかなり遮断される。その部屋に床を作り、夜中にどんな物音があらうと起きないと決めたのです。
すると、おばあちゃんはどうなるか。夜中に何度か呼ぶ声が漏れ聞こえてくることがある。
「暗くて、寂しい」
と言ふこともあれば、
「おしつこが出る」
と大声をあげることもある。
それでも私は助けに行かない。しばらくそのままにしておくと、大抵はおとなしくなる。大声を出すにも疲れて、いつの間にか寝るのだらう。
あるときは、明け方気になつて覗いてみると、ベッドから這い出して、床の上でエビのやうに丸くなつて寝てゐたことがある。もちろん、掛け布団などない。5月とは言へ、何も掛けずに寝られるほど暖かくはない。さすがに可哀さうだつたなと思ふ。
冷酷な気もするが、私も夜中に何度も起きて対応することに疲れてゐる。おばあちゃんはおばあちゃんの人生を生きてくれ。さういうふ気になるのです。
ところが、驚くことがある。
夜中にどれだけ叫んで助けを呼んでも息子は来てくれない。呼び続けて疲れて寝る。しかし朝起きてご飯を準備して行くと、おばあちゃんは「有り難う」と言ふのです。「お前、夜中にどうして来てくれなかつたのか」とは、決して言はない。
なぜ言はないか。夜中のことを何も覚えてゐないからです。
夜中にあれだけ呼び続け、力尽きて寝てしまつた、その一部始終をすつかり跡形もなく忘れてゐる。だから今朝ご飯が来たことだけが嬉しいのです。
これは、おばあちゃんを馬鹿にしてゐるのではない。むしろ感心するのです。
「これが人に恨みを持たない方法だな」
と思ふ。
私など、10年経つても忘れられないことがある。忘れられないので恨みも残る。折に触れてその恨みが意識にのぼつてくると、10年前のことをまるで今あつたかのやうに、何度でも体験する。
しかしおばあちゃんは、昨日のことをすつかり忘れ去る。昨日私がどれほど意地悪であつても、今朝美味しいご飯を運んでくれば、私はおばあちゃんにとつてこの上ない善人なのです。

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