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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

雑談の楽しみ

2021/05/26
世の中を看る 0
雑談

「雑談」といふのは、誰でも何気なく、苦もなくできるもの。尤も、話に明確な目的はなく、それゆゑ生産性も低い。人によつては、そんなものは時間の無駄だと考へる。

「雑談」のイメージは、ふつうそんなものかも知れません。

しかし「雑談」は極めて人間的な営為であると同時に、実は極めて高度な知能を駆使する営為でもあるのです。

人間なら大抵誰でもできる、特に女性なら何時間でも飽きることなく続けられる可能性が高い、この「雑談」といふコミュニケーション。これをAIはいまだにできないのです。

今やAIも、近くの美味しいレストランなら即座に紹介できる。尋ねれば、明日の予定も教へてくれる。初めての場所にも迷わず案内してくれる。自動車の運転もかなりの程度代行してくれる。将棋や碁ではすでに人間を超えてゐる。

ところが、人間が何気なく楽しんでゐる「雑談」ができないのです。「雑談」の何がそんなに難しいのか。

AIが得意なのは、目的がはつきりしてゐるものです。明日の天気はどうなるか。目的地にはどう行つたら、最短距離で到達できるか。さういふことなら、厖大なデータを集め、それを高速で計算して最適解を出すことができます。

ところが、「雑談」には明確な目的がない。この話の結論がどこに落ち着くのか、誰にも分からない。Aさんが言つたことに対する返答は、BさんとCさんとではほぼ必ず違ふし、BさんCさんそれぞれの中でも、返答の選択肢はほぼ無限にある。そして、Bさんの返答に対する次の返答も、これまた選択肢が無限にある。

このやうなやり取りが何十回何百回と続くと、お互ひの選択肢は無限大になる。その無限大の選択肢をプログラムすることは不可能でせう。だから今のところ、AIには「雑談」ができない。

試しに、スマホで「OK Google」を立ち上げて、
今日の気分は、どう?
と尋ねてみるとどうなるか。かなり漠然とした雑談のとつかかりです。

するとGoogleは
あなたがさう聞いて下さつたので、絶好調です。あなたはいかがですか?
と返答し、聞き返してくれる。

「あなたがさう聞いて下さつたので」といふのは、不自然な言ひ方です。「あなたはいかが?」といふのも、ありきたりな(定型的な)対応だ。

それでも我慢して私が
「私も絶好調です」
と答へると、今度は
すみません。言ひ方を変へてもう一度言つて下さい
と要求してくる。

自分では「絶好調」と言ひながら、同じ答へが返つてくると、どうしてそれをうまく処理できないのか。

言ひ方を少し変へて言ひ直すと、今度は
それについては、かういふサイトがあります
と言つて、検索結果を表示するやうになる。

これではまつたく「雑談」にならない。私は「雑談」を楽しみたいのに、AIは困ると検索結果を見せてくる。私は情報がほしいわけではないのに、その意図を理解してくれないやうです。

確かに我々は「雑談」によつて何らかの有益な情報を得ようとするのが第一目的ではない。話のついでに「あそこのケーキは美味しいらしい」といふやうな情報を得ることもある。しかしそれは「雑談」の謂はば副産物であつて、一番欲しいものはそれではない。

一番欲しいものは、「雑談」によるやり取り自体の楽しみなのです。お互ひが相手を気遣つたり、体験を共有したり、関心の枠を広げたりする。話せば話すほど、親近感が深まる。思ひがけない気づきを得たりもする。それが楽しいのでせう。

この楽しみのために、我々は自分の持てる知能を最大限に駆使して「雑談」をするのです。思へば、人間は「雑談」ができる唯一の生き物に違ひない。

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小林正観1
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