物語を書き換へる④「潜在意識の記憶を消去する」
新しい物語を古い物語に重ねて上書きすることができればいゝ。その場合、まづ古い物語を消去するといふ方法論があります。これが2番目の方法論です。
その代表的なものが、ハワイ発祥の「ホ・オポノポノ」です。これについては、これまでに繰り返しこのブログで書いてきました。書きながら、実践もしてきました。
先に触れた第一の方法論「復活論」とは、その理論的土台が大きく違ひます。しかし第二の方法論の良いところは、実践方法が具体的であることです。
これによると、私たちは2種類の情報によつて生きてゐる。潜在意識にある記憶の再生といふ情報か、それとも神聖なる知能からくるインスピレーションといふ情報か。そのどちらに従ふかで、私たちの生き方は大きく違つてくるのです。
私たちは毎日、辛い、悲しい、嬉しい、痛い、苦しい、憎い、恨めしい、好き、嫌ひなど、さまざまな思ひを体験しながら生きてゐます。それらすべての思ひは潜在意識(ウニヒピリ)に蓄積されてゐる膨大な記憶の「再生」だと考へます。
記憶といふのは、自分自身の過去の記憶だけでなく、それこそ宇宙創成以来のすべての記憶です。それらが私の日常生活の中に再生される。再生される目的は、その記憶を消去して「ゼロ」に還元するためです。
なぜ「ゼロ」にしようとするか。「ゼロ」になつて初めて、神聖なる知能から、過去の記憶に左右されない純粋知がインスピレーションとして訪ねてくるからです。
私の生活の大半は、過去の記憶の「再生」です。私自身は、今まさに自分の独自な体験をしてゐると思つてゐますが、実は過去の記憶に縛られて生きてゐる。
ホ・オポノポノはそのことに自覚的になれと言ふのです。
例へば、今私が何かの出来事に遭遇して「悲しい」といふ感情を体験したとする。そのときに、(顕在)意識(ウハネ)で、自分自身にかう問ひかけるのです。
「今私は過去のどの記憶のゆゑに『悲しい』といふ感情を感じてゐるのか」
そして、これまで長い間こんな悲しみといふ痛みの記憶を持ち続けてきた「ウニヒピリ」の苦痛に共感し、同時にそれを今知らせてくれたことに感謝する。
その内的な作業を
「ごめんなさい。ありがとう。愛してゐます」
といふやうな言葉で表現したりもします。
この作業によつて、今回浮き彫りになつた記憶は超意識(アウマクア)に受け渡され、それを通じて神聖なる知能に届けられる。そこまで届けられると、その記憶は完全にキャンセルされ消え去る。
記憶といふ古い情報が消去されて「ゼロ」になつたところへ、神聖なる知能からインスピレーションが降りてくる。これは過去の記憶にまつたく左右されない、無垢の新しい情報です。この新しい情報に従つて行動するとき、私は過去の記憶から解放されてゐる。
ウハネ(顕在意識)、ウニヒピリ(潜在意識)、アウマクア(超意識)、神聖なる知能の4つを総合して、「セルフアイデンティティ」と呼びます。これが私の「意識の構造」だと考へるのです。

人間の意識構造については、諸説あるところでせう。だからこれも一つの仮説として捉へておいてよからうと思ひます。
ただ重要なのは、この構造分析から導き出される結論なのです。それを一言で言へば
「私の体験のすべては、私の内面で起こつてゐる」
といふことです。
悲しいとか嬉しいとか苦しいとか、様々な体験をするとき、私たちはふつうにその体験の原因が私の外にあると考へます。例へば、「あの人のあの言葉、あの態度で私は辛い体験をした」といふふうに。
しかし本当のところ、私の「辛い体験」の原因は私の外にではなく、私の内、つまり私の潜在意識の記憶にあるといふことです。
物語を書き換へるといふテーマからすると、次のやうに表現できます。
「私の体験のすべての原因が私の外にあるといふ古い物語を、それらは常に私の内にあるといふ物語に書き換へよ」
実際の順序としては、まづ古い物語を「消去」する。そこへ新しい物語をインスピレーションとして受け取る。そのインスピレーションに従つて行動する。そこで得た体験を、新しい物語として書き重ねていく。

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