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虚構世界で悩む人

kitasendo
みつばち

ユヴァル・ノア・ハラリ氏のベストセラー本『サピエンス全史』に「認知革命」といふキーワードが出てきます。

ハラリ氏によれば、我々ホモ・サピエンスがこんにち自然界の頂点にまで登り詰めたのには、3つの重要な革命が関与してゐる。「認知革命」「農業革命」「科学革命」の3つです。その内でも「認知革命」はホモ・サピエンスをして他の万物と決定的な一線を画する最も根本的な革命だと言ふ。

「認知革命」とは何か。

現実には存在しない虚構(フィクション)を信じ、語ることのできる能力を獲得したこと
とハラリ氏は説明する。

例へば、虚構の最も代表的なものが「神話」です。一つの神話を作り出し、それを信じ、他の人々に語ることによつて、それを信じる人々が共同体を作ることができる。

自然共同体は、せいぜい150人程度までが限界だと言はれる。それに対して神話共同体は数万、数十万規模にまで拡大できるのです。これがホモ・サピエンスの最大の力となつた。

ハラリ氏の着眼点はとても興味深い。尤も、この説自体も果たして事実なのか、あるいは虚構なのか。それは分からない。ただこの視点は、こんにちの我々の人生を考へてみる上でも、ヒントになることがあるやうに思はれるのです。

「現実には存在しない虚構を信じる」と言ふ。とすれば、我々は「現実」と「虚構」といふ2つの世界を持つてゐる、あるいは2つの世界に生きてゐる。さう言つてもいいでせう。

ここで問題は、「虚構」を信じる能力が必ずしもプラスとばかりは言えないことです。私が最近ふと感じたことを例にとつて考へてみませう。

蜂蜜は甘味料の一つとして重宝します。ところがこの蜂蜜を、我々は蜜蜂の巣から無断で奪つてきてゐるのです。

蜜蜂たちは何ヶ月もの間、来る日も来る日も蜜を求めて花から花へと飛び回り、一つの花からごくわづかづつの蜜を吸い取つては自分の巣に持ち帰る。そのやうに数千匹数万匹のミツバチがコツコツと溜めたその蜂蜜を、我々はいともあつさりと強奪する。その強奪したものを「旨い旨い」と言つて食べてゐる。

もし蜜蜂に我々のやうな心があれば、とても我慢できない話でせう。自分たちが汗水流して集めたものを断りもなしに奪つていき、感謝もない。その上、次の季節にまた一から集め直したら、それもまた奪つていく。努力が馬鹿らしくなるでせう。人間に対して憤慨し、怒り、怨みを抱いて然るべきです。

ところが、蜜蜂たちはどうもさういふ一切の感情がないやうに見える。その証拠には、奪はれても奪はれても、来季にはまたせつせと同じ作業を繰り返す。

人間なら絶対に耐えられさうにないかういふ蛮行を、蜜蜂はなぜ平然と受け流すことができるのか。それは彼らが「現実の世界」だけに生きてゐるからだと思はれます。

彼らは花の季節になれば、飛んで行つて蜜を集める。集めた密で生きていく。次の花の季節が来ればまた蜜を集める。蜜が溜まることも蜜がなくなることも、ただ単に「現実」なのです。

そこには
折角苦労して集めたのに、勝手に取つて行かれた。苦労が報われなくて悔しい
といふやうな思ひは一切ない。

この思ひは、謂はば「虚構」なのです。我々人間にとつては当たり前のやうに思へるこの思ひは、「虚構の世界」に属するものです。だから「現実の世界」だけに住む蜜蜂には、こんな思ひは、それこそ思ひもよらない。

「現実の世界」には、憤慨も怒りも恨みもない。集めれば増える、取られれば減る。その事実しかないのです。

ところが「虚構の世界」ではさうはいかない。半分「虚構の世界」に住む我々人間には、その世界ゆゑの悩みが生じます。

「あれだけ努力したのに、なぜ評価されないのか」
「善に生きてゐるのに、なぜ裏切られるのか」
「相手のためと思つて尽くしたのに、なぜ嫌はれるのか」

かういふ思ひが我々の悩みの大半と言つていいでせう。これらは「虚構の世界」特有の問題です。

「虚構の世界」は、謂はば「物語の世界」です。「かうしたら、かうなるはず(べき)」といふ「私なりの物語」で成り立つてゐます。そしてその物語通りにいかないとき、「虚構」と「現実」の間の齟齬に悩みと葛藤が生じるのです。

かと言って、我々は今更「虚構の世界」を抜け出ることができない。ハラリ氏の言ふやうに「認知革命」を起こしてしまつたのなら、その革命前の世界に戻ることは不可能です。我々は脳の中で「虚構」を組み立てながら、体では現実世界を生きるしかない。

そこで私なりに考へ得る改善案は、「物語」の書き換へです。「かうしたら、かうなるはず(べき)」といふ私なりの物語を書き直してみる。

例へば、
かうしても、かうなるかも知れず、あゝなるかも知れない。あゝなつたとしても、それはそれでいゝ

かういふ書き換へが自在にできるなら、我々は2つの世界に跨つて生きながらも、人間ならではの悩みをかなり軽減できるのではないか。しかし、どこをどうしたら書き換へられるか。これがなかなか一筋縄ではいかないのです。

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なるほど、池田晶子

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