良心は言葉で説明しない
前回の記事「宗教の上にあるもの」の続きで、「良心」についてもう少し考へてみます。
「人殺しはなぜ悪ですか」
といふ疑問に対して、宗教であれ道徳であれ法律であれ、あらゆるものは「言葉」で説明しようとする。
それに対して、言葉で説明しない唯一のものがある。それが「良心」であると考へました。
良心は言葉で説明しないけれど、
「それはやつてはいけない」
と思ふ。
良心にはなぜこのやうな特質があるのか。それはまだよく分からないのですが、分かるところから考へてみませう。
『原理講論』の「堕落論」に、次のやうな一節があります。
第一に、エバはルーシェルから、創造目的に背いたということに対する良心の呵責からくる(不安と)恐怖心を受け継いだのであり、第二には、自分が本来対すべき創造本然の夫婦としての相対者は天使ではなく、アダムだったという事実を感得することのできる新しい知恵を、ルーシェルから受けるようになったのである。 |
これは「失楽園物語」の内実を説明する箇所です。
エバが天使長ルーシェルと霊的な性関係を結んだとき、彼女の中にどのやうな現象が起きたか。天使から2つのものを受けたと言ふのです。一つは良心の呵責からくる不安と恐怖心。もう一つが知恵。
「私(エバ)の行為はなぜ悪なのか」
といふ疑問に対して、2つの答へがあるのです。
一つは「知恵」。これには「言葉」の要素があります。実際に「言葉」で説明を受けたのかどうかは判然しませんが、少なくとも「なぜさうしてはいけないのか」といふ論理に裏打ちされてゐます。
これに対して「良心(の呵責)」には「言葉」による説明がない。ただ「不安と恐怖」で教へるのです。
良心はなぜ言葉で教へないのか。それはよく分からない。ただ、似たやうなことは我々の今の日常の中にも、いくらでもあることに気がつきます。

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