文明の中の職人
それは日本の職人が「たんに年季奉公をつとめあげたのではな」く、「仕事を覚えたのであって」、従って「自由な気持ちで働いている」からだ。日本人は「芸術的意匠とその見事なできばえを賞揚する」ことができる人びとなので、職人たちは「何処の地に身を置こうと自分の仕事振りが求められることを知っているのである」。 (『逝きし世の面影』渡辺京二) |
この指摘をしてゐるのは、明治10年から15年頃にかけて来日し、東京帝大の教授も務めた動物学者、エドワード・モース。そしてここで「芸術的意匠」と言つてゐるのは、例へば、日本の家屋に多く見られる「欄間」です。
特に旧家の欄間には手の込んだ優美なものが見受けられる。モースが驚くのは、それらがいづれも「名もなき地方の職人」の手になるものだつたことです。
なぜさういふことが可能だつたのか。
モースの観察によれば、どんな職人も「たんに(嫌々義務的に)年季奉公をつとめあげたのではない」。手に職をつけることに主体的に取り組んで、腕を磨いてゐる。
しかし重要なことがもう一つある。
これもモースの分析ですが、このやうな職人たちの働きを背後から助けたのは、日本全体にセンスの良い趣味が行き亘つてゐるといふ「文化的な環境」。これこそが、職人たちの芸術的意欲を刺激し、かつまた守つてゐたといふのです。
職人が身につけた技術で良いものを作り上げれば、それは必ず世の中に評価され、受け容れられる。しかも評価するのは一部の上層部だけではない。つつましい生活をする庶民までもがみな愛好する。そして職人自身がそのことを知つてゐる。
著者の渡辺は
「文明とはまさにこのことにほかならなかった」
と言ひます。
文明とは一朝一夕に作られるものではない。また一方、成熟した文明なくしては良い芸術は生まれない。日本は特に江戸時代を通じて、さういふ文明を成熟させたやうなのです。
江戸時代のはるか以前から、日本人は独自の美意識を磨き、職人たちは自らの手を通してその美意識を形に現してきた。日本刀などもその一例でせう。それが江戸時代には、家々の欄間となつて現れた。
日本人にはかういふものを生み出すDNAが、歴史の中でその体内に埋め込まれたのではないかと思へます。それが戦後、高度経済成長を遂げたとき、「Made in Japan」といふ世界的なブランドとなつて発現したのに違ひない。

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