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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

釈尊の幸福

2021/04/17
永遠に生きる 0
仏教
釈尊

仏教には「悟りの52位」といふものがあるさうです。一言で「悟り」と言つても、そこには52もの段階がある。

最上段の52位は、これまでにお釈迦様だけが到達した境地。それを「仏覚」と言つたり「無上覚」と言つたりもします。

どうして52の段階のあることが分かるかといふと、お釈迦様ご自身がそれを順次体験しながら52段階まで到達されたからです。

山登りに喩へれば、山の麓から登り始めて、1合目2合目と高くなるにつれて見える景色が違つてくる。麓からは見えなかつたものが見えるやうになり、遠くまで見晴らせるやうになる。

さうして頂上まで登り詰めれば、最高に視界が開け、はるか遠くまで見通せる。これが52位の悟りの境地です。

この境地にまで登り詰めるには気の遠くなるほどの時間と修業が必要で、仏教の数へ方では10の56乗年を3回繰り返さないと到達できない。登攀修業の道がこれほど険峻では常人には頂上などとても無理。だからほとんどの人は、頂上を目指す途中の「菩薩」に留まる。

お釈迦様に続く方としては、41位まで到達したのが龍樹と無著の2人。壁に向かつて数年間座禅修業した達磨大師は30位そこそこ。天台宗を開いた天才智顗(チギ)などは10位にも達しなかつたと言はれます。

それぞれの段階がどのやうな境地なのか、到達しない者には判りやうがない。ただ、低いよりは高いほうがいゝのだらうと推測するばかりです。

ところが、この悟りの位階と幸福感とは果たして比例するのかと考へると、いささか疑問が生じる。

『原理講論』の「総序」には、次のやうな記述があります。

肉身の快楽にふける俗人の喜びと、清貧を楽しむ道人の喜びとは、全く比べものにならない。


喜びが幸福の内実です。それで、幸福感といふものは外的な条件で決まるのではなく、究極においては本人の内面的な充足感によるものでせう。だから、俗人から見れば取るに足りない、つまらぬ我慢に見えても、道人本人に内的な喜びがあるなら、何の問題もない。

ところが、私の手元に『霊界の実相と地上生活』といふ冊子があり、この中に霊界(あの世)におけるお釈迦様の思ひがけない様子が描写されてゐます。これを見ると、これが本当にお釈迦様なのかと思へる。「仏覚」とは一体何なのかと考へざるを得ないのです。

この冊子は1人の霊界人から送られたメッセージをこの世で自動書記によつて記録したといふ体を取つてゐます。送り主は、李相軒(イ・サンホン)と名乗る、かつて内科医であつた韓国人。統一思想などを体系化した、かなりの知性人です。

この手の情報は慎重に扱ふべきものと承知した上で、少しその内容を紹介してみませう。

釈尊の住まひは、中間霊界の上層圏。釈尊の周囲には、何人かの信徒たちがいつも随行し、ともに散策することはあつても、衆人が集まる場には姿を見せることがない。

その性品は、慈愛に満ち、謙遜。上慢な様子はまつたくなく、むしろいつもうつむいて過ごしてゐる。ここには、清浄な人格が現れてゐます。しかし仏教の開祖、最高の覚者を思はせる「威厳」とか「栄光」と言つたものは意外なほどに感じられない。

ところがそれよりも重要なことは、釈尊は直接神に会ふ機会がないといふことです。より高位の霊界圏から使ひがときどき訪ねてきて、神の言葉を伝へる。そのとき釈尊は、ござを敷いて土下座をしながらその伝達を受ける。

これについて、釈尊自身がかう言はれます。

神様の前に畏れ多く、地上にゐるとき、神様に仕へる法を教へられなかつたのが悔やまれます。私もまた、神様について知らずに生きたから、数多くの人たちを間違つた道に導いたことになるのではないでせうか?


釈尊は仏教界の最高峰。唯一、52位に達した方です。その方が神を知らずに生きた。そして今は、それを限りなく悔やんでゐる。これは信じられる話でせうか。

この点について、李氏は次のやうに推察してゐます。

「イエス様は神様に仕へた方ですが、釈迦牟尼は神なくして自ら完成できると考へたので、彼は神様の前に出ていくことができないやうでした」

釈尊は神の力なくして自力で完成できると考へたといふ。「完成」といふ概念はちょつと仏教に馴染まない気がします。それでも確かに、自分の外側にある種の神的な力を感じて、修行の推進力にするといふことはなかつたのだらうか。

旧約聖書は神の壮大な天地創造から始まり、預言者たちに託した神の言葉に満ちてゐる。新約聖書ではイエス・キリストが自身を「神の一人息子」と呼んでゐる。

それなのに、仏教の修行にはなぜそのやうな神の姿がないのだらう。釈尊が神を知らず求めなかつたのか。それとも、何かの理由で神は釈尊を訪ねなかつたのか。

いづれにせよ、釈尊はあまり幸福さうに見えない。釈尊以外の教祖の様子はどうなのか。もう少し霊界レポートを読んでみます。

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