ただの池江璃花子
競泳の池江璃花子さんは2019年2月、白血病と診断され、それから1年近い闘病生活を送つた。退院すると、やはり彼女の戻るところはプールしかなかつたと見える。
再び練習を始めると、水を得た魚。今年の4月に出場した日本選手権のバタフライで3年ぶりの優勝を果たした。
治療に入るとき彼女は
「東京五輪は諦める。2024年のパリ五輪に賭ける」
と語つたが、今大会の優勝で諦めかけてゐた東京五輪への出場切符を手に入れたことになる。驚くべき復活力といふしかない。
闘病から復帰までの彼女を追つたドキュメンタリーを観ると、印象深い彼女の言葉がある。
水泳を始めてから積み上げてきたものは、この1年ちょいで完全に失はれた気がした。今までの努力の意味が分からなくなつた。(これまでは)敵がゐなかつた。練習でも試合でも。だけど今は、逆に置いていかれる立場になつて、ダントツに遅れてゐる自分のギャップが受け入れられなかつた。 |
この彼女の言葉が流れた後、
「大切なのは『勝利』ではなく、努力を積み重ねる『自分自身』」
といふテロップが画面に現れる。
3歳から水泳を始めた。それから18歳で白血病と宣告されるまでの15年間、輝かしい記録を積み重ねてきた。それが治療で練習のできなくなつた1年であつといふ間に消え去つた。
本当に何もなくなつたのかどうか。それは分からないが、少なくとも、本人にはさうとしか思へなかつた。
しかし私は思ふ。積み上げてきたと思つてゐたものが眼の前から突然消えたやうに思へたときに、彼女は初めて「自分自身」に出会つたのではないか。それまでは「努力」と「結果」が「自分自身」だと思つてゐたのに、さうではなかつた。
復帰してきた彼女に、番組スタッフが尋ねる。
「新しい自分は、どんな自分ですか」
それに対して
「ただの池江璃花子ぢやないですかね。池江璃花子なんで、池江璃花子なんだと思ひます」
と答へてゐる。
これが二十歳のアスリートの答へだらうか。まるで禅問答のやうに聞こえる。
15年間次々にたたき出してきた多くの記録。しかし「何とか記録保持者」が池江璃花子だと思つてきたが、実はさういふ池江璃花子などゐなかつた。ゐるのは「ただの池江璃花子」だけ。
彼女の人生に神が関与されてゐるのなら、神が彼女の身ぐるみを一度すつかり剝いでみた。きれいに着重ねた輝くもの、人目を引くものをすべて取り去つてみたら、そこにはどんな「自分自身」が出てくるか。
それを神が見ようとしたといふより、本人に見させようとした。
神はかなりきついやり方をされたと思ふ。しかし、何も着飾つてゐない「自分自身」に出会ふことほど貴重な体験は、人生において他にないと思ふ。

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