2人の男の2つの愛のかたち
先日の記事で触れた韓流歴史ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』。最後まで観ると、このドラマのテーマは「正しい道を通した復讐(恨を解く)」のほかにもう一つ、「男女の愛」があるのが分かります。
「男女の愛」。これに関心のない人は少ないでせう。だからどんなドラマでも必ず多かれ少なかれ織り込まれる。しかし、どういふ愛を描けるかは、なかなか難しい問題です。
愛のかたちは千差万別なので、描き方にはもちろん監督の力量が現れる。しかし大きく見ると、その国その民族が歴史的に培つてきた心的な遺産とでもいふべきものが、我とはなしに滲み出るやうに思ふ。
「チャングム」を観てゐると、かういふ愛のかたちは今のハリウッドではちょつと描けさうには思へない。また、現代劇ではなく歴史ものだからこそ描けるとも思ふ。
チャングム対しては、2人の男が思ひを寄せる。1人は宮廷の役人で、もう1人が王です。
チャングムは役人のほうと昔から相思相愛。しかし宮廷女官といふ立場では結婚はできない。一方、王には絶大な力があり、望むなら後宮に入れて独占することができる。
あるとき、役人と王の双方が互ひに同じ女性に思ひを寄せることを知る。そののち王は、チャングムの口から役人を慕つてゐるとの告白を聞く。その告白が宮廷においてどんな結果を招くか。
チャングムが後宮を拒むとしても、王は強権的に後宮を命ずることができ、恋敵である役人をいかにでも処理できる。しかし王がチャングムの思ひを汲んで後宮を諦めるなら、王は彼女への思慕を捨てなければならない。
のちに王が役人を呼んで心の内を質したとき、役人はかう答へる。
女人としても、彼女の持つ才能も、事を成し遂げる過程で彼女が見せた信念と志、どれもが私には愛おしく見えました。私は彼女のすべてを愛しております。たとへ一緒になれずとも、たとへ行く先に困難があらうとも、彼女が行く道を遮ることはできません。 彼女の才能は彼女の生き方そのものであり、彼女自身なのです。どんなに壁が高からうと(王の)主治医になるべきであり、それを後押しするのが私の役目であり、それがまた、私の医女チャングムへの愛し方なのです。 |
このとき王は、チャングムのために自分の命をかける覚悟が役人にあることを悟ります。
王は煩悶する。チャングムを思ふがゆゑに、臣下の言葉を軽んずることができないのです。
そののち、王はチャングムを呼び、思ひを吐露する。
自分は王となつたとき、愛などといふ感情は無意味だと悟つた。その後、多くの妃や嬪(ひん)を迎へたが、背後にはそれぞれの勢力がゐた。そんな余が、そちを愛したのだ。久しく忘れてゐた感情だ。 だが、そちを後宮には迎へぬ。そちを権力の渦に巻き込みたくない。そちの意に反したくないからだ。 だが余のそばにゐてくれ。そちが唯一の心の支えゆゑ、仕方がないのだ。これが、余の愛し方だ。王としての命令であり、男としての願ひだ。 |
かうして王はチャングムの後宮入りを取りやめ、医女ながら例外的に王の主治医とすると宣布するのです。
ここに2人の男の2つの「愛し方」が出てきます。歴史ものでなければ描けない愛のかたちです。かと言つて、本質において特殊といふわけでもない。
愛そのものにはかたちがなく、目に見えない。その愛がどうして体感されるかと言へば、態度と行動を通して現れるからです。
ここに見える愛のかたちは、
「自分の気持ちよりも相手の価値を重んじる」
といふかたちです。
このかたちは、我々の日常において、このドラマほどに劇的には現れないとしても、本質はいつでも通じるのではないでせうか。むしろ、このかたちが日常において現れることこそが貴重に違ひない。

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